主がお入り用なのです~ルカの福音書19章~ゆっくり通読しよう
1.取税人ザアカイ
ザアカイはどんな人だったのか。なぜ取税人になったのか、罪の意識は持っていたのか、いなかったのか。
イエス様を一目見たくていちじく桑の木に登った。
みんなから嫌われている自分に、イエス様が名前を呼んで、声を掛けて下さったことが、嬉しくて嬉しくてたまらなくて、自ら進んで貧しい人に施しをします!と、言ったのだろう。
イエス様の優しさへの心からの応答が、幼な子みたいでもあって、とても気持ちよく感じられた。
2.十ミナは十人のしもべに等しく与えられた
主人は「これで商売をしなさい」と言って一ミナを与えたのに、布に包んでしまっておいたしもべは、主人の言葉を全く無視した上に逆ギレとも思える文句まで言った。しかも十ミナは『運用を任せた』のでなくて『与えた』と書かれている。つまり、主人から恵みのだった。
このしもべのことを理解できないと思ったけれど、改めて考えてみた。
神様からの愛と恵みを喜んで受け取るなら、私たちの一生をさらに愛と恵みで満たしてくださる。豊かに実を結んだしもべは喜んで主人に報告しただろう。主人が善い方であることを信じなかったしもべは、それゆえに恵みを取り上げられてしまう。また、ほんとに主人が恐ろしいことが理由で一ミナを隠しておいたのなら、銀行に預ければ必ず利息がつく。それさえもしなかったこのしもべは、怠惰で不忠実であったのだと思う。
そして、イエス様が王として戻って来られ、この地を治められるその時に、王と認めなかった者たちはみな取り除かれる、ということかな。
3.子ろばを入用とされた
イエス様のエルサレム入城の場面。
これまで、イエス様や弟子たちと一緒にエルサレムに向かって旅してきた気分になっていたので、その旅が終わってしまうのが寂しく感じられた。
イエス様はあえて、馬とかでなくて、子ろばをお入り用とされた。戦いの王でなくて、平和の王であるイエス様を表すのに子ろばは相応しいと思った。神様は小さな者でも相応しく用いてくださる方なんだね。
大勢の人々が、イエス様を賛美し叫ぶ大歓声の中、イエス様の心は対照的で、やがてエルサレムに起こる悲惨を悲しまれ泣かれた。本当の平和への道である救い主を拒絶し十字架につけた咎のため、その約40年後、エルサレムの神殿は破壊され、イスラエルの人々は全世界に散らされる。旧約の預言は成就した。
4.わたしの家は祈りの家でなければならない
宮で商売をする人々に、祈りの心も神様への畏敬の念も全く感じられないのだ。
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参考---ルカの福音書19章(新改訳2017)---
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