必要なことは一つだけです。マリヤはその良いほうを選びました~ルカの福音書10章~ゆっくり通読しよう
1.収穫は多いが、働き手は少ない
七十二人の弟子に明確な指示を与え先に遣わされた様子は残された日がさらに少なくなってきてイエス様が急いでいるようすを感じました。
2.滅びの町ソドム.ツロ.シドン
もしイエス様の奇蹟と癒しを目の当たりに見て、みことばを聞いていたら、かつて堕落のために滅ぼされた町々でさえ、悔い改めたことだろう。イエス様を見ても聞いても信じない者への裁きはかつての滅びの町よりも重い。
福音を聞いたのに信じない人への裁きが、聞かないで死んだ人のものと同じではないなら、『足のちりを払い落とす』-私はあなたと何の関わりもない-という証言の重みを感じました。
と同時に
・(滅びの町でさえ悔い改めたと言われる)御子イエス様をこの世に送ってくださった神様の歩み寄りがどれほどすごくてあり得えないことだったか。。
・人々の心がどれほど頑なであったか。。
を思わされました。
3.何を喜ぶか
七十二人は与えられた力に少しはしゃいでしまった。位の高い天使だったのに力に溺れ堕落したサタンみたいにならないように、霊が服従することではなく天に名が書き記されていることを喜びなさいと言われた。
天にわたしの名が記されているということを心にとめて、どんな時でも喜べる者として下さい。
4.私の隣人とは誰ですか
📖よきサマリヤ人のたとえ
祭司やレビ人は瀕死の人をなぜ助けなかったのだろうか。先を急いでいたからか、(死んでいると思い)死人に触れて汚れることを恐れたからか、ほかの誰かがすると思ったのか。
助けない理由はいろいろつけることができたのかもしれない。
逆に、強盗に襲われた人の”隣人となった”サマリヤ人が助けた理由はただ『見てかわいそうに思ったから』だけだった。
自分はどうだろう。時間、体裁、煩わしさ、お金など。
何かに心が縛られていては手を差し伸べることができない。
いつも、主にあって自由な心でいたいです。
📖あなたも行って同じようにしなさい
律法学者は、イエス様に頼らなくても、自分は律法をきちんと守っているから永遠のいのちを受け継ぐことができると言いたかったのかな。
そして、サマリヤ人のたとえを聞いて自分は表面的にしか律法を守れていないことを知った。
正しいことが分かっていてもそれを行うことができない私の弱さもイエス様は知っておられる。
5.マルタとマリヤ
必要なことは一つだけです。
必要なこととは、思うに主のそばにいられることを喜ぶことじゃないかな。
マリアが喜んでイエス様の話に聞き入ったように、マルタの心が主に集中していたのなら、イエス様のために喜んでもてなしができただろう。
神様への愛と感謝を表す方法は、人それぞれ違って当然で、自分の方法を人に押しつけることもできないし、人の方法を非難することもできないんだと思わされました。
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参考---ルカの福音書10章(新改訳2017)---
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