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KING OF MY HEARTを聞いて〜ガラテヤ人への手紙3章〜ゆっくり通読しよう

教会の賛美でKING OF MY HEARTという曲があります。その中で、繰り返される"you are good"という歌詞がスクリーンでは、"あなたは良いお方"と訳されて出ます。
それを見る時いつもこの"good"は私が学校で習ったgoodの意味とはだいぶ違うなぁと思います。良い、善い、正しさ、優しさ、聖さ、正義、公正、偉大、愛、哀れみ深さ、寛容、平和、忍耐強さ、真実、思いつく限りのよさを並べても足りないgoodなのではないかと思います。

"義"もそんなふうに言い尽くすことのできない、人の考えの及ぶ義とは次元の違うものなんだと思います。それがすべてモーセの律法に含まれているのだから、当然人間に守ることは不可能だと思います。
律法は「守れません」と告白するために存在するのものなのに、「守っている」という人は神様に対抗しているとも思えるので、のろわれべきという激しい表現も理解できる気がしました。

📖人は律法を守ることでなく神様を信頼することによって等しく救われる

そもそも、アブラハムが信仰によって義とされた時、律法は存在していませんでした。
その時すでに異邦人の救いも約束されていたことに感謝です。

ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もなく、キリストにあって一つである。人が平等であることは、今でこそさけばれますが、こんな昔から明らかにされていた原則なんだとつくづく思いました。

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参考‐‐‐ガラテヤ人への手紙3章(新改訳2017)---


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