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一つのからだの多くの器官〜ローマ人への手紙12章〜ゆっくり通読しよう

1.思うべき限度と信仰の量り

高慢になってはいけない、思い上がってはいけないと自分に言い聞かせていると「自分なんて・・・」と思うようになってしまった。少々得意なことがあっても、素敵なものを持っていても、上には上がいるのだからと表に出さず、人に褒められると居心地が悪くなって「自分のせいでなくて〜が〜だったから」と良いことに言い訳をするという変な現象。
そうすると、良いものはどんどん逃げていく。少々出来たことも機会が与えられず、上達することもないしいつの間にか出来なくなってしまう。『慎み深さ』とはそういうことではなかったのだ。

 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。   3節

みことばを自分で読んでいくに従って、与えられたものは賜物として喜んで受け取ればいいんだとわかってきた。どんなに小さくても、もっと上手にできる人がいても、与えて下さった良いものは、握りしめず、神様のご用のために使うともっともっと与えてくださり、もっともっと用いてくださっただろうって思う。
振り返ると、上には上がいるとか、その程度のことで・・・とか人に思われることを恐れて、自信をなくしていたのかもしれない。

この世に調子を合わせてしまうと、ともすれば持てるものの大きさによって、自分のそして他人の価値を量ってしまう。でも、パウロは信仰の深さによって自分を正しく量りなさいと言う。

用いてもらおうと、"勤勉で怠らず"努力する時、足りない部分は神様が補ってくださるだろう。神様の恵みは私に十分なのだから。

2.愛し合い支え合うには

一人ひとりは違った働きをする大切な器官。

神様は互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさいと言われる。神様の目からは一人ひとりが、同じように愛を注がれたとても大切な存在だから。
私たちはそのように同じ場所に立ち、尊敬し合ってこそ、心から愛し合い、支え合うことができるのだと思う。

3.復讐はわたしのもの

愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。
「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」
「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。
 なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」   19-20節 抜粋

許せない相手への復讐を主に委ねる。その人の飢え渇いた心にみ言葉という食べ物と水を与え飲ませる。
主はどのように復讐してくださるだろう。燃える炭火はどのように積まれるのだろう。
このみ言葉を信じることを選びとった時、主はその相手を救いに導かれた。
それは、私の大きな歓びとなった。
主の復讐は完全な形で完成する。
神様のみこころは人の思いよりも遥かに高い。

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参考---ローマ人への手紙12章(新改訳2017)---


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