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6月に読み終えた本

この見出し画像はThe Last of Us Part IIから引っ張ってきた(絶賛攻略中)。ラスアスといえば人間が菌に寄生されてゾンビみたくなってしまった世界の話で、外出自粛どころじゃない隔離生活が送られている。何度か(開発の遅れや物流の影響で)発売延期になったが、最終的にこの時期に発売されたというのが偶然とはいえすごいタイミングだなあと思う。
むりやり本の話につなげると、この画像ような本はたまに落ちていて、拾うとスキルの強化がアンロックされていくというものである。どんなときでも本から知識を得ることは尊いことですね…。
なんなんだこのまえがきは。

加藤典洋『可能性としての戦後以後』(岩波現代文庫)

加藤典洋の本はここ数年読み続けていて新刊が出たら買うようにしていたのだが、うっかりしてたら文庫が立て続けに出ていた。昨年亡くなったので、過去の著作が文庫入りしているのだろう。読んでないものもたくさんあるのでありがたいといえばありがたい。
加藤のおもしろいのは「ねじれ」の感覚と、徹頭徹尾そこから考えが組み立てられているところだ。ねじれというのは、たとえば私利私欲から公共性が生まれるということであったり、憲法の成立過程(アメリカから与えられたものであること)であったりといろんな変奏として語られるのだけれども、その矛盾を解消するのではなく引き受けることに重点を置いているのが、個人的には良いと感じる。足腰がしっかりしているというか。
そういう意味で「「痩我慢の説」考」と「チャールズ・ケーディスの思想」という章がおもしろかった。それはたぶん、福澤諭吉とケーディス(GHQで憲法原案を作った責任者)が足腰のしっかりした信念の人だということが書かれているからだと思った。書かれる人を通して、書く人が伝わってくる。批評だなと思う。


村上春樹『村上T――僕の愛したTシャツたち』(マガジンハウス)

Amazonでサジェストされて、変な本だなと思ったら村上春樹本人のものだった。
村上春樹が貯め込んでるTシャツを紹介するだけの本なんだけど、ゆるくてよい。たいていがしょうもないTシャツなのだが、いい感じに撮影されているとええやんけと思えてくる。権威に弱い。
一番最初にTONY TAKITANIのTシャツが出てきて、ここからインスピレーションを得て小説「トニー滝谷」が生まれたと語られるのはめちゃめちゃびっくりした。その後実際にどんな人だったかもわかるのがおもしろい。
勝手にソフトカバーだと思ったらしっかりしたハードカバーの洒落た装幀で、良かった。暑くてだらっとしながら読んだらとてもいい気分になった。


笹井宏之『えーえんとくちから――笹井宏之作品集』(PARCO出版)

ある日渋谷の丸善ジュンク堂に行くと著名人が選んだブックフェア的なものがやっていて、眺めてみると(たしか)坂本真綾さんがこの本を薦めていた。毎週bayfmのビタミンMを聴くぐらいにはファンなのでオッと思ったのだが、知らない歌人で、すでに亡くなっていると知った。この本も在庫がほぼない状態だったようで、貴重なものだなあと思ってせっかくなので買った。
それから読み始めるのにだいぶかかってしまったが、通読した。歌集などはさっと読めるので良い(決して欠点ではないと思う)。すでに亡くなっているということを知っていると、例えばⅢ章(部?)に収められている歌から身体の不調やままならなさ、あるいは死の気配が読み取れて、こういう中で歌(笹井は短歌だけではなく音楽も作っていたと、お父上の「あとがき」にある)を作っていたのだなというのがすごく伝わってくる。
短歌一般のことかもしれないが、おもしろいのはひとつの歌のなかで視点や主述みたいなものがぐわんと変わるところで(そのようなことを穂村弘か(俳句について)長嶋有が言っていた気がする)、たとえば「小説のなかで平和に暮らしているおじさんをやや折り曲げてみる」みたいに、あまりにも暴力的なメタがいきなり入り込んでくるのとかを読むのも、実際想像してみるのも楽しい。村上春樹の書く比喩もこんな力がある。
この本は絶版(品切?)だそうだが、ちくま文庫で文庫化されている。穂村弘が解説をしているらしいので、読んでみようと思う。


『世界哲学史6――近代I 啓蒙と人間感情論』(ちくま新書)

ついに近代である。さすがに知ってる人物や聞いたことのある思想について触れられることが多く、理解もできた。
この巻の一番のテーマは「感情」と言っていいと思う。「理性」偏重から「感情」を考えていくことで、啓蒙思想や市民革命、批判哲学などが育まれていく。またこれは東洋でも共鳴している。世界哲学史として共時的に見るおもしろさがある。
でも個人的にいちばんおもしろかったのはカントの思想を紹介する章だった。カントはひたすら理性の限界についてそれこそ理性でもって考えた人で、そこから「人間の尊厳」の概念を「論証」した。たとえば基本的人権という考え方はここから出てくる。これはすごいことだよなと思う。


長谷部恭男解説『日本国憲法』(岩波文庫)

加藤典洋の本などを読んでいるとどうしても憲法、特に9条についての言及があるので、いっちょ全部目を通すかという気持ちで買った。憲法なんてググれば全文読めるけれども、解説がないと上滑りするだけなので本で買うわけである。
たぶん先に『世界哲学史6』で社会契約説だなんだという話を読んでいたからか、「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」という文言を見ると総意!?という気分になる(反対とかそういう意味で取り上げているわけではない、念の為)。そういう意味でか、解説でアメリカに押しつけられたという論に対して、そもそも大多数にとっては押しつけであるというようなことが書かれていて(まとめが雑すぎる可能性が高い)、はー、なるほど…と思った。
日本国憲法以外に大日本帝国憲法があってはじめて読んだのだが、意外といまの憲法と同じようなところがあるのだなと思った。これは日本国憲法が大日本帝国憲法の改正手続によって成立したから、というのもあるのかもだが、そもそも世界的に憲法というのはこういうものなのかもしれない。そういう意味で各国の憲法を読み比べてみたりするとおもしろそうだなと思った。あと英文の日本国憲法もついてたので、勉強がてら読んでみてもいいかもしれない。
ところでこの文庫、カバーオンカバーで水色にでっかく日本国憲法と書いてあってそこまでしなくてもという気分がする。あと、現行の岩波文庫の表紙の紹介文のフォント、これはヒラギノらしいんだけど、ぶっちゃけ合わないと思う。


中沢新一『愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ(3) 』(講談社選書メチエ)

この巻のテーマは「経済」である。ひと口に経済と言っても我々が行う資本主義的な市場経済(これは「交換」とされる)だけではなくて、「贈与」や「純粋贈与」との三位一体の構造全体を経済と言っている。
ここに「愛」が絡んでくるのは、「交換(=資本主義)(=貨幣を仲立ちにした経済)」が「愛の応答」であるコミュニケーションを困難にしてしまうという問題意識からである。これはマルクスもそう言っているそうな。交換も贈与も価値(富)を生み出すが、贈与がコミュニケーション(愛)をやりとりすることでそうするのに対し、交換では否定性によって価値を生み出すと説明される。これがマルクスのいう疎外で、たしかに疎外という言葉は難しいけれど、否定性と言われると納得がいく(もちろん文中の説明込みで)。
交換の便利さは言うまでもなくてそれは完全否定される必要はないのだが、贈与や純粋贈与も巻き込んだ全体性をもった運動として経済が描かれる必要があるというのがこの本のまとめである。…ただざっくりまとめてしまった。
ちなみに贈与や純粋贈与のモデルとして農業の話が出てくる(もちろん機械化・資本主義化したやつではない)のだが、植えて育つというのはたしかに喜びがあるよなと思う。なにも植えて育ててないのになんでこんなことを思ったのかというと、これはどうぶつの森の世界観に近いからだ。そしてたぬきちが畜生として捉えられがちなのは、彼が徹頭徹尾貨幣を仲立ちにしたコミュニケーション(=交換)を信条としているからだと言えるかもしれない。そうじゃないかもしれない。