見出し画像

11月に読み終えた本

11月の前半はまだ暖かかったのに、後半になって急激に寒くなってきて、テンションがだた下がりしている。助けてくれ。

慎改康之『ミシェル・フーコー――自己から抜け出すための哲学』(岩波新書)

大学・大学院と社会学をやっていたので、フーコーには少しは触れてきたと思う。フーコーは哲学者とされるけれども、彼の言説分析や権力に関する考察は社会学でも頻繁に参照されると思う。
そうなるとどこらへんがフーコーを「哲学者」たらしめているのかなと思ってはいたが、この本を読んだらそのあたりがなかなかわかった。少し歯ごたえはあったが。
終章で触れているように、フーコーは「真理」について考えてきた人だったのだと思う。それは「真理とはなにか」というよりも、人間にとって「真理」がどのような存在であったか、というような意味である。
「真理」という「隠蔽」されたものを探求・回収しようとする人間を「本質的」な存在に仕立て上げる近代の学問・科学の仕組みを暴露したり、権力が人間と真理の関係をどう利用していくかといった分析、といったように、フーコーの仕事を「真理」をキーワードにするとたしかに読み解きやすいのかもしれない。ある意味でフーコーが「哲学者」らしからぬ感じを与えるのは、このように「真理」そのものを標的にしたのではなく、「真理」の仕組みとでもいったものを扱っていたからである、ということがよく分かる。自分と同じようなフーコー観を持つ人は、読むとなるほどと思えるかもしれない。


柿木伸之『ヴァルター・ベンヤミン――闇を歩く批評』(岩波新書)

むずかしい…!読み通したものの、なかなか読みすすめるのが大変だった。これがこの著者の書き方に由来するのか、そもそもベンヤミンが難しいのかよくわからないが、なんとなく後者な気もする(ベンヤミンに合わせて書こうとするとこう書かざるを得ない、的な)。
フーコー同様(?)、ベンヤミンもなかなか一言では何をした人なのか言うのはむずかしい。哲学者なのか思想家なのか批評家なのか。アーレントが彼を「文人」と呼んだというエピソードがあるが、たしかにそうとしか言えないような感じもある。
わからないなりに思ったのは、ベンヤミンの歴史観、歴史哲学が、「慰霊」(東浩紀)に通ずるものがあるなということだった。ベンヤミンは第二次大戦が終わる前に自殺しているけれども、第一次大戦や自身の境遇などから、名もなき死者の歴史や、それを語ることについて生涯考え続けてきていたようである。本書ではデリダへの影響なども触れられるけどそういう流れがあるのだろう。
ベンヤミンというと『複製技術時代の芸術』ぐらいだったが、それも含めた彼の思想に少しでも触れることができた気がする。


小島秀夫『創作する遺伝子――僕が愛したMEMEたち』(新潮文庫)

小島秀夫というゲームデザイナーが世界的に有名なのはもちろん知っていたが、『METAL GEAR SOLID』シリーズはやったことがなかった。ただ、大変な映画好きで読書家なのは知っていたのでどんなものを読んだり見たりしてきたのかなと思ってこの本を読んでみたら、自分が読んだことのない作品がたくさん出てきて驚いた。しかし、まったく知らないものでも、「オタク」っぷりを読ませられるのはなかなか楽しい。
で、この本をこのタイミングで読むぐらいなので『DEATH STRANDING』をやっているのだが、こちらはなかなか不思議なゲームだ。作業ゲーになりそうなゲームと言えばそうなのだが、そこを絶妙に脱しているのはオンライン要素なのかなと思う。ゲームの内も外も「つながる」といいことがある、ぐらいに思っておけばいいと思うのだが、おもしろいのは、「こんなルート通らないでしょ」というようなところにもやはり痕跡があったりして、ゲームのやり方が似てる人が可視化されるような設計になっているところである。そういうロマンチックなところもすこしひねくれたところも、この本を読むと「MEME」として小島監督が受け取ってきたものだとわかる、と言えるかもしれない。このゲームの批評はゲーマー日日新聞のジニさんの記事がとても良かった。


小泉悠『「帝国」ロシアの地政学――「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(東京堂出版)

なんでいきなりロシア…という感じだが、ツイッターで流れてきておもしろそうなので読んでみた。
ロシアはいろいろと領土問題や民族紛争抱えてるけど、どういうことなんだろうなーと思っていたので、勉強になった。
ロシア(プーチン)の「勢力圏」という考え方で情勢を見ると、旧ソ連の国々に対するある意味では守護者(保護者)的な態度や、日本および北方領土に関する考え方(ロシアは、日本はアメリカに守られているので完全な主権を有していないとみなしている)というのはしっくりくるような気がする。我々が納得するかと言うのは別の話だが。
そんな感じで旧ソ連圏の国々に対しては意外とウェットでロマンチックな態度をとっているのもなかなかおもしろいが、当の国々にとってはたまったもんじゃないだろうなとも思う。


岸政彦『ビニール傘』(新潮社)

岸政彦の社会学関連の本はそこそこ読んでいるが、小説はいつか読もうと思いつつまだ読んでいなかった。そんな折にこのインタビューを読んで、既刊小説二冊を購入した。

岸は生活史や質的調査を中心にやっている社会学者で、人の語りを聞き、それを研究したり本にしてきた社会学者で、どんな小説を書くのか気になっていた。読んでみると、この小説の収録二作品の登場人物は、同じ人(たち)のようでどこか違う人である。二人ないし一人が主に登場するのだが、同じ人のようにも読めるし、違う人のようにも読める。なんというか、複数のありえたかもしれない人生が一冊に、作品に折りたたまれているという印象で、こういうの書くんだとちょっと意外に思った。
ただ岸の社会学者としての仕事である「人の語りを聴くこと」というのは、人の、自分のありえたかもしれない人生を想像することなのかもしれない。そういう実感が作者にあり、それを物語として創造したのがこの作品のような気がしてならない。らしいことを言ったが。
二冊目も続けて読む。


岸政彦『図書室』(新潮社)

というわけで読んだ。
表題作の小説は主人公が女性でしかも子どもの頃の話を思い出すというものだった。おもしろいと思ったのが会話で、大阪が舞台なので大阪弁で子どもが小気味よく会話するのだが、読んでいると男の子と女の子のどちらが喋ってるのか分からなくなるところが良かった。なんとなく頭の中で音を再生するのだが、実際に声に出たものを聴いてみたい気もする。
もう一作はエッセイで、作者が大阪に進学してきてからのあれこれが書かれていておもしろい。大学院に落ちて日雇いをやっていたことを書いたりしているのだが、自分の学部の時の先生も大学院に落ちたのでトラックの運転手をやっていた話をしていたので、なんとなく社会学者はそういうものなのかと思ってしまった。
文中で何度か、人間にはどこかで肯定される瞬間があるということを書いていて、そのようなことを信じる人の文章は優しくてとてもいいと思う。