三人寄れば文殊の知恵と言うが、確かに、一般的には数人で議論をすると、一人の優秀な者よりも良い解決策が出る事がある。 たとえば西部開拓時代、4人乗りの馬車が途中で動かなくなったら、4人でどうすべきか相談したことだろう。そして今、国の方針を決定するために、国民全員の意見を訊く。 「それぞれ独立した知見と判断力を有する者」が大勢で話し合う事は、確かに健全だ。しかしそれには「独立した知見と判断力を有する者」という前提がある。 今、ひとつの国が何かを決定した時、それが地球規模で及
【作品に関するネタバレがあります】 「幼年期の終わり」という古典名作SFがある。 ある時、人類を遙かに超える文明を持つ「オーバーロード」が地球にやって来て、平和裏に人類を監督し始める話だ。 しかし結末では、そのオーバーロードは「いずれ統合された意識体となってオーバーロードをも超える存在へと進化する人類」を見守り、見送る為の存在だった事が判る。 オーバーロード達は、地球を訪れた時こそ人類を超える能力を持っていたが、その知性故に、彼ら自身は進化の行き止まりの存在である事も知っ
法律等の規定では、人間の理解を容易にするために、しばしばシンプルな数値が使用されている。例えば殺人罪は「死刑または無期もしくは5年以上の懲役」また建築基準法においては、居室の採光は「床面積の1/7以上」といった様に、単純化された数値がある。 しかし、建築物の採光でいえば、建築基準法の目的は「健康的に居住できる事」なので、例えば「平均的な日中の机で読書や作業が支障なく行えて快適であるよう、何ルクス以上あればよい」といった事が本来の目標だ。 これを実現する為にどのような規定が