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CD世代の落語この人この噺「火焔太鼓」(柳家権太楼)

 落語のオチ(サゲ)には、一般にもよく知られたものがあります。

 題名そのままの「サンマは目黒にかぎる」はその代表例なんじゃないでしょうか。
 ほかにも「前にまわってウナギに聞いとくれ」や「よそう、また夢になるといけねえ」は、昔のマンガなどで小ネタ的にあちこちで使われたりしておりました。

 私は唐沢なをき、高橋葉介、魔夜峰央、とり・みきといった、少々マニアックな漫画家さんが好きでしたもので、そのマニアックなネタもなんとなく読んでいるとわからないなりに「ああ、ここはなにか元になるものがあるんだろうな」と、マニアックさを喜んでいたのですが、さて冷静になって読み返してみるとその元ネタの何がおもしろいのかがわからない。
「この次は濃いお茶が一杯こわい」なんて「一杯こわい」という言葉遣いに引っかかって、おもしろいおもしろくない以前に日本語として意味がわからないと、頭に「?」をいっぱい飛ばしておりました。

 今回紹介いたします「火焔太鼓」の「半鐘はおよしよ、おジャンになるから」も、結構パロディに使われた記憶がありますが、どちらかというと小首を傾げた側のひとつでした。

 あまり目も利かず、商売もうまくない道具屋の主人甚兵衛さんは、今日も骨董市で汚い太鼓を買い込んできて女将さんにさんざん叱られていた。
 ところがその太鼓を掃除中、誤って鳴り響いた音色を聞きつけて侍がやって来る。
「我が殿がその太鼓を是非見たいとおっしゃっておいでだ」
 武家相手ということで女将さんにさんざん脅されて屋敷に出向いたものの、心配とはうらはらに実は手に入れた汚い太鼓は世に二つとない名器と逆に教えられて、三百両の大金で買ってもらえることになる。
 その代金を手に、今度は甚兵衛さんが大いに得意がるのだった。

 たいしたことのなさそうなものが実は……というのも落語にはよくあるパターンで、「井戸の茶碗」「抜け雀」「竹の水仙」などがぱっと頭に浮かびますが、この「火焔太鼓」は肝心の太鼓の由緒来歴は重要でなく、それをわきに置いての道具屋の主人と女将さん、武家屋敷を訪れてからのご重役との掛け合いがメインとなっています。
 この掛け合いの楽しさを堪能できるのが柳家権太楼です。

 柳家権太楼
 昭和22年、東京都出身。
 昭和45年、柳家つばめに入門、前座名ほたるとなるが、その年につばめが急逝したため、師匠の柳家小さん門下となる。
 昭和50年、二ツ目昇進、さん光に改名。
 昭和57年、真打昇進、三代目柳家権太楼を襲名。
 平成24年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
 平成25年、紫綬褒章受章。
 落語協会の理事・監事を経て、現在は相談役を務める。

 録音はソニーミュージックの朝日名人会ライヴシリーズの『柳家権太楼 4 [幾代餅]・[火焔太鼓]』に収められています。

『柳家権太楼 4 [幾代餅]・[火焔太鼓]』(SICL 157)

 掛け合いの楽しさは会話するふたりの対照が際立つほどにおかしみが増えてくるものですが、やり過ぎてしまうとこれも笑えないものになってしまいます。
 この点権太楼の人物造形は大変に巧みで、どのキャラクターも個性的ながらいやみがないから、人のよさがにじみ出ていて安心して聴いていられるんですね。

 主人公の道具屋甚兵衛さんは確かに少々おっちょこちょいで抜けていますが、落語によく出てくる与太郎というほどではなく、なんとか威厳を保ちたいというのに一生懸命な小市民的人物です。
 威厳を保ちたいというのも、なにも同業者から一目置かれたいとかじゃなくて、あくまで女将さんや丁稚の定吉相手に頼りになるところを見せたいという一家の長としての責任感から来るもので、それは家族以外と接する際の人当たりのよさからも十分に伝わってきます。

 女将さんが噛みつくのも、そういう甚兵衛さんの頼りなさを慮ってのことで、過度に蔑もうとか揶揄しようという思惑はなく、これ以上に失敗を重ねないようにとの忠告がついつい多少きつめの言葉になって出てしまうって感じです。
 こういう二人の夫婦喧嘩ですので深刻さはなく、純粋に楽しんで聞いていられます。

 殿様に太鼓を献上することになってのくだりが典型的で、得意でしかたない甚兵衛さんと、そんな上機嫌でしくじりをしたらかなわないと「こんな汚い太鼓見せたら、お殿様怒って庭の松の木にでも吊るされちまうんだよ」と憎まれ口をたたいてしまう女将さんのやりとりが微笑ましいです。

 お屋敷についてからは、殿様への中継ぎの侍との会話になるのですが、この侍も厳めしい口振りながら武辺一辺倒ではなく、見当違いのことをいったり驚いて我を忘れたりする甚兵衛さんをおおらかに見守り、「道具屋という商売は儲けられる時に儲けるものと聞いておるぞ。遠慮せず、限度いっぱいまで値をつければいい」とこちらの身に立って丁寧に諭してくれる人のよさがにじみ出ています。おかげで身分違いからくる緊張感がなく変にドキドキせずに済みます。
 タイプが違う二種類の掛け合いですが、どちらも根にやさしさがあるので聴いていて心地いいです。

 そのやさしさがよく現れるのは、太鼓を売って帰宅した甚兵衛さんを女将さんが迎える場面ですね。
 思わぬ大金を手に入れて舞い上がっている甚兵衛さんを見て、侍の機嫌を損ねて追いかけられていると早合点した女将さんは「押し入れの中に隠れときな、追い返してやるから」とかばってくれるんです。頼りない甚兵衛さんと勝気な女将さんだからこその笑いの起こるやりとりなんですが、夫婦のやさしさが感じられてすごく好きなくだりです。

 誤解もとけて、太鼓を売って得た三百両という大金を前にして、甚兵衛さんと女将さんの立場が逆転、それまで語気荒くまくしたてていた女将さんがしなを作って猫なで声を出すギャップに大いに笑わせてもらうところなんですが、同時になんだかんだでの二人の仲睦まじさが感じられてほっといたします。

 そうしてここで、
「お前さん、鳴り物って儲かるんだね」
「おう、そうよ! 俺は今度は骨董市で半鐘買ってきちゃうよ」
「あらぁ、半鐘はダメだよ。おジャンになるから」
 とオチて締めくくられます。

 確かに、半鐘はいかにもとってつけたようで、それだけを取り出すならばギャグとしてもかなり弱いです。
 けれども、テンション高い掛け合いをたっぷり聞いたうえで、この何気ないオチを聞きますと「もうここで打ち止めですよ、お話は終わりですよ」と教えてくれているようで、ふっと肩の力を抜くきっかけになるんですね。
 落語のオチはおもしろいとかではなくて、話の区切りを伝えてくれるものなんだなと、教えてくれる噺でもあります。

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