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「月亭方正×桂宮治 二人会」に行ってきました。

7月3日の日曜日に大阪松下IMPホールにて開催されました「月亭方正×桂宮治 二人会」を観覧してきました。


 笑点の新レギュラーとなり露出の増えた桂宮治さんは、まだ一度も拝見したことがなかったため、よい機会とチケット予約のはじまった当日に申し込んだのでした。
 昼の部の開演1時半で席も指定なのでのんびり向かったのですが、2階ホール前の受付は結構な行列ができており、方正&笑点の知名度の大きさを改めて感じました。
 当日の番組表はこうです。

 落語のはじまる前の二人によるトークでは、方正さんが笑点に初出演するという話題から、それが実は今日だったという方向に進みまして、
「今日の夜の部が5時半からですから、来ている方は見られないんですよ。読売テレビ頭おかしいですよね」
 という宮治の毒舌トークで会場がどっと沸きました。
 ちなみに、この二人会の主催である平成紅梅亭は読売テレビの企画です。大丈夫、読売テレビ? 日テレと仲悪いことない?

笑福亭笑利「平林」

 開口一番(公演の幕開きですね)は笑福亭笑利さん。
 使いを頼まれた丁稚の定吉が訪問先がわからなくなり、書状の宛先の「平林(ひらばやし)」を読んでもらうも、タイラバヤシだのヒラリンだのイチハチジュウノモクモク、果てはヒトツトヤッツデトッキッキーと、だれもまともに読めるものがいなくて困るっていう噺ですが、この定吉のあどけなさがよく出ていて、にくめない小僧さんになっていました。
「ヒトツトヤッツデトッキッキー」と読んだ人に対して「そのトとかデとか伸ばし棒はどこから来ているんです?」とつっこみを入れたりするのも、あげあしをとる風でなく純粋にたずねているという感じでいやみじゃなくすっと聞けました。
 冒頭近くで、お使いを命じられた定吉が、「だれのところに行ったらいいんです?」「なにをしにいくんです?」「だれが行くんです?」と、次から次へと指示を忘れたふりをして旦那さんをからかうのは「くしゃみ講釈」の移植だと思うのですが、これも罪のないいたずらで雰囲気に合っていました。
 全体的に安心して聴いていられる一席でした。

桂宮治「お血脈」

 パワフルな、大型重機にでも乗せられたように、山や谷も全部一気に駆け抜けていくような高座でした。

 釈迦の誕生から、仏教の日本伝来、物部守屋による迫害を経て信州善光寺の建立につなげていく、掛け合いよりは状況説明が中心となった地噺なのですが、個人的にはあまり得意な演目じゃなかったんですね。それぞれの古文めいた縁起を滔々と語って、ところどころに軽いジョークを入れてくすくすと笑わせるというイメージで。

 ところが宮治さんは、もちろん語るべきところはしっかりと語って聞かせつつ、合間合間につっこみやらギャグをはさみこんで、だれることのない爆笑につぐ爆笑の40分を提供してくれました。
 釈迦の誕生の「天上天下唯我独尊」から自分の子供のしくじり話につなげて、忘れた頃に元の筋に戻ってくるという具合です。

 でも、全部がオリジナルのギャグやジョークでなく、阿弥陀の髭面に釈迦が剃刀をあててあげる場面で錆びた刃を使ってしまったために阿弥陀が痛がって「アミダ(涙)が出ちゃう」といったり、仏教伝来の際物部氏が仏像をつぶそうとしたところでそれが白金製なだけに「プラチナ(不埒)な野郎」といってみたりするのは、「これは全部先代の文治師匠から教わったもので、代々伝わる由緒正しいくすぐりですから、みなさん古典芸能のつもりでありがたく聴いてくださいね」と注釈つきで教えてくれました。
 また途中で大げさな所作が登場した際には「噺家は根が正直ですから、ここをこんなでたらめな表現できません。でも、それをやるのが講談師で」と講談の悪口につなげていたのですが、このあたりも現桂文治師匠が平治の頃からやっていた型を踏襲していました。

 なにしろ、噺の内容自体も力業なところのあるものですので、それをしのぐパワフルな話し振りで一気呵成に語って聴かせてくれたのですが、ただ力任せでなく桂に伝わる型を押さえて古典落語としてしっかり聴かせてくれました。

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 仲入り後は宮治さん方正さん二人のトークの後半戦。
 ここで御両者ともに落語界に入ったのが2008年で、桂枝雀の落語を聴いたのがきっかけだったという共通点を明かされました。
 そして、それに合わせて、ちょうど楽屋に来ていたという桂枝雀の長男桂りょうばさんを呼び寄せての三人トークとなりました。
 方正さんが聴いたのは『桂枝雀落語大全』の第一集で、宮治さんは「上燗屋」とのことでした。

『枝雀落語大全 第一集』(TOCF-55011)

 この方正・宮治両者の落語の稽古や勉強会を聴いて、またりょうばさんも落語家となる道を目指すことになったというのですから、本当に縁は異なものというほかありません。
「方正・宮治二人を聴いて、このくらいなら俺もやれるって思ったわけですね」
 宮治さんの毒舌もどことなく温かみが感じられました。

月亭方正「井戸の茶碗」

 朝イオンで買い物を済ませて品を袋に詰め替えて店を出ようとしたところで、
「ちょっとごめんなさい」
 と呼び止められた。カードの忘れ物をしたのではないかということだったが、それは先方の勘違いで、テーブルに張られていたポイントカード入会のお知らせを見間違えたものだった。
「なあんだということで、お互い挨拶をして別れたんですが、これがすごく嬉しかったんです。まず、ごめんなさいと丁寧に声を掛けてくださったことと、トラブルを面倒に思ってわかっていても無視することも多いなかでわざわざ、もしかしてと教えてくださったこと、これにすごく幸せな気分にさせてもらって、おかげで今日の落語会は、いい気持ちで来ることがでました」
 というエピソードをまくらに本編へ。

 方正さんの落語はいつもとても趣向を凝らされていて、その趣向も聴く人にもっとわかりやすくと、観客側の視点に立って施されているので独善的な部分が少なくて、なるほどなあと素直に思わせてもらえるんですね。

「井戸の茶碗」は、京都勤番の武士と長屋暮らしの浪人という人のよい侍二人の意地の張り合いに、やっぱり人のいいくず屋が右往左往させられる噺ですが、この主役クラス三人をより印象深くするために京都勤番の武士の従者や、侍二人のいさかいを収拾する役割を果たす長屋の大家のキャラクターを強くされていました。
 特に従者を、主人の権威をかさに着て、ちょっと調子に乗っちゃう性格にして、くず屋を探す場面で他のくず屋に対して暴言を吐きまくるのを、他の演者の方ですと主人の武士が果たすところを交代させているのが、どのキャラの印象も悪くしない工夫に感じられました。

 人物の演じ分けもしっかりとされていて、特に主役三人の、いかにも町人なくず屋に、少し砕けたところはあるものの実直そうな京都勤番の武士、口調や所作も自然で場景が頭に浮かんできました。

 またサゲ(オチ)も一般的なものから変化をつけさせていて、よりハッピーエンドを強く感じるものとなっておりました。
 こちらに関しては、私としては元の方が整っているように思えましたが、それでも意図はわかりますのでいやな感じはしません。

 まくらのちょっと幸せな話からのサゲとしてはまとまりがよく、うまく完結しておりました。


 パワフルな宮治さんと、まとまりのよい方正さんで、非常にバランスのよい二人会でした。

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