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CD世代の落語この人この噺「お神酒徳利」(柳亭市馬)

 大ネタです。

 明確に定義づけされているわけではありませんが、大体40分を超えるような演目をそう称しています。

 代表的なところでは「芝浜」「文七元結」「百年目」といった人情噺や、「らくだ」「山崎屋」などの滑稽噺、なかには上中下の三部に分かれる「子別れ」なんてものもあります。
 どれもただ長いというのでなく趣向が練り込まれていますので、他の演目には代えられない味わいを持っています。

 では今回の「お神酒徳利」の特色はなにかといえば、舞台が江戸だけに留まらず東海道を旅していくスケールの大きさと、それぞれの場所で異なる事件が待ち受けている物語の内容の豊かさが挙げられるでしょう。

 江戸日本橋馬喰町の刈豆屋は、かつて徳川家康より直々に三葉葵の紋の入ったお神酒徳利を賜ったといわれる、伝統と格式のある旅籠であった。
 ところが年の瀬も押し迫った煤払いの大掃除の日、その刈豆屋に大騒動が巻き起こった。
 家宝のお神酒徳利がなくなってしまったのだ。
 勤め人のだれに聞いても行方に心当たりのある者はいないという。
 二番番頭を務める伝六も、ついその場の流れで知らないといってしまう。ところが、後々になって自分が掃除の最中にしまいこんだのを思い出す。
 店主の剣幕を思い返すと、今さら申し出るのはおっかない。困り果てたところで、妻がひとつのごまかす知恵をさずけてくれる。
 それが、占いのふりをして失せ物を見つけた体で収めるというものだった。
 自分でしまったのだから見つけるのも造作もなくなんとか急場をしのぐ。
 ところが、この話を聞きつけた大坂の大富豪鴻池の家のものが是非ともその占いの腕を貸してほしいと頼み込んできて、まさか断るわけにもいかず一路大坂へ向かうことになってしまう。
 さらに江戸を出てすぐの神奈川の宿では、鴻池家が贔屓にしている旅籠にトラブルが起こっており、そこでも占いの腕を頼りにされてしまい……

 もともとは上方落語の演目だったものを関東に移植したのが昭和の名人と名高い六代目三遊亭圓生で、宮中での御前口演でもこの噺を取り上げています。
 一方別系統で細部を変えて移植された「お神酒徳利」もあり、こちらは主人公が旅籠の番頭から出入りの職人に変更されて、話も大坂に行く前の神奈川宿で終わります。同タイトルでほぼ筋立ても同じながら、長さが違う噺がふたつあるというちょっと珍しい演目です。
 私が好きなのは、たっぷりと旅と事件の数々を楽しませてくれる圓生型で、そのうちでも柳亭市馬のものを折につけよく聴いています。

 柳亭市馬
 昭和36年、大分県豊後大野市出身。
 昭和55年、五代目柳家小さんに入門、前座名「柳家小幸」。
 昭和59年、二つ目昇進、「柳家さん好」に改名。
 平成5年、真打昇進、四代目柳亭市馬襲名。
 平成26年、落語協会理事長就任。現在まで務める。
 習っていた剣道が機縁となって小さんへ弟子入りを果たしたという変わり種で、だからというわけでもないでしょうが、姿勢正しく声も精悍で非常によく通り、本人の歌好きとあいまって歌手としてもデビューしています。

 録音が収録されているのはポニーキャニオンから出ている『柳亭市馬名演集1 ひなつば・お神酒徳利』です。

『柳亭市馬名演集1 ひなつば・お神酒徳利』(PCCG-00834)

 市馬の噺を聴きまして、まず「いいな」と思わされるのは、その声の良さなんです。
 やわらかで伸びがよく、耳に自然に入ってくる。そしてメリハリがあるので、そのまま聞き流してしまうということもない。
 冒頭、旅籠の旦那さんがお神酒徳利がないという報告を受けたところで、「ないっていうのはどういうことだ。ないなんてことが許されるわけがないじゃないか」とピシャリと言い放つんですね。
 短いフレーズですが、それまでのやわらかな調子が一転して迫力がこもっているので話が引き締まるのと同時に、主人公の伝六のしでかしたことの大変さが伝わってきて、なるほどこれだと「恐れながら」なんて出ていけないなとおびえる気持ちも理解できる。
 だから占いで、それもソロバン占いでなくしたものを見つけるだなんていう、とっさのその場しのぎのごまかしも身が入って感じられてきます。

 このゆるい話の流れに切羽詰まった抑揚をつける手法は、次の神奈川宿の場面でも非常に印象的に使用されています。行き掛かり上しかたなく大坂まで行かなければならなくなったコミカルさが、鴻池家が定宿にしている旅籠に降りかかった災難の説明の際にはすっと真面目なトーンに切り替わる。
 喜劇仕立てですから聴いている方はのんびりとしたものですが、物語のなかでの当事者からすると冗談でない話が進行しているわけで、そこは決してなおざりにされない。
 もちろん、だからこそおかしな部分はより一層おかしく感じるわけなのですが。

 声と話ぶり、そして柳亭市馬の「お神酒徳利」を気持ちよくきける次の理由は、話の細部をしっかりと作り込んでいるというところにあるでしょう。

 煤払いの日、番頭の伝六はいそがしい最中喉の渇きを覚えて台所の水瓶におもむき一息つく、見れば家宝のお神酒徳利が放置されている、万一のことがあってはいけないとどこかしまっておく場所はないものかと見まわすものの、責任ある身の上だからひっきりなしに呼ぶ声が聞こえてくる。そこで水瓶の中に徳利を沈めておくことを思いつく……

 噺の冒頭はこんな具合なのですが、大掃除でいそがしく働いているうちに喉がかわくところと、他の奉公人から呼ばれるところが市馬による趣向と思えます。
 そのひとつひとつはなくても話は通じるのですが、それだと少々物語展開が唐突に思えたりして、引っ掛かりを感じかねません。
 そうした不自然さを解消してくれる丁寧な噺運びは、安心して物語世界に没入させてくれます。

 そんな風にして、長い噺も長く感じさせず大坂での事件も聴き終えて、いよいよ江戸に帰るくだり、ここで東海道を東へ下り宿場をひとつひとつ読み上げていく語りが、滔々と流れるようでいかにもエンドロールを思わせる心地よさがあり、これも大ネタならではの味といえるでしょう。

 さらにもう一つ、この「お神酒徳利」の特色は、全編をただようおおらかなおめでたさがあり、聴き終えると満足感とともにぽかぽかと胸温かくなる幸福感がたちのぼってきます。

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