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推しの『いのち』の意味。

AZKiちゃんのオリジナル曲『いのち』
それを、推しのみずしーこと水科葵が歌った動画が公開された。

今回はその動画についての解釈、感想を書いていきたいと思います。

この曲が歌われることになったきっかけ。

きっかけとして8月のAZラジMAXで彼女達が共演した際に、歌ってみたいと話していたことから、今回この曲が歌われることになった。
元々AZKiちゃんは知っていて『いのち』という曲も知っては居た。
その時もすっごく良い曲だな、感動するな…と思った。
けれど、今一番応援しているジェムカンのみずしーが今回歌ったことで色々思わされてしまった。

AZKiちゃんの『いのち』

仮想世界に生きる歌姫であるAZKiちゃんのいのちの意味
『いのち』のライナーノーツで作詞家の方はこう書いています。

音楽家でもなんでも、ある日突然物質的な死を遂げてしまうこともあれば、
ひそかに忘れられて静かに活動の場から居なくなってしまうこともあります。誰かを応援できることはきっと幸せなことなのかもしれないなと、この歌詞を書きながら思いました。

そして、同記事でAZKiちゃん自身はこう書いています。

このテーマについて考えていたとき「人間は二度死ぬ」という言葉を思い出した。一度目は、肉体の死。そして、二度目は、すべての人がその人の存在を忘れてしまった時。

AZKiは人間のように肉体が消えることは多分ない。
だからと言って永遠に生き続けることができるのか。難しい。


そうすると、AZKiの「いのち」の終わりは、みんなの記憶から消えたとき、忘れ去られたときだと思う。ただ、バーチャルな世界は始まったばかりで「いのち」が終わるということは定義しづらい。ただ考えてみるのは面白い。けど同時になんだか悲しくもなる。

仮想世界に生きる彼女達バーチャルな存在の『いのち』の意味。
推しが引退したその先をファンが知れることはそんなに多くないと思うし、まだまだどうなるか分からないVTuber界隈は少し刹那的だ。
だから、引退=推しの死の様な解釈が界隈では少し多い。
そういう意味と合わせて考えて、引退の先は見られない、だからこそ忘れたら消えてしまう、それはやっぱり死なのかな、と。

でも、申し訳ないけれど初めていのちを聞いた時、AZKiちゃんは観測していた物のずっと追えていた訳ではなくて、どこか曲に入りきれなかった。

みずしーの『いのち』

みずしーは、12人のアイドルグループGEMSCOMPANYのメンバーだ。

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ジェムカンことGEMSCOMPANY、彼女達はそれぞれが叶えたい夢がある12人の女の子が集まったグループ。アイドル・歌手・声優など目指す夢はバラバラでありながら、アイドルとして今をひた走っている。

そんな彼女の『いのち』の意味
アイドルに関してはまだ詳しくないものの、様々なアイドルが結成してはひっそりと消えていく。ほんの一握りの人気アイドルになっても、いつかは引退をして、少しずつ忘れられていく。そんなイメージがあった。

以前、推し以外のアイドルライブに一度だけ行ったことがあり、そこで今が永遠じゃないことをアイドル本人が分かっていて、ファンの「好き」「推し」って言葉が何れ変わる様な刹那的なものでも、それを信じて活動を続ける。という言葉をアイドルから聞いた。

私も推しの引退を経験したことがあり、それが分かっていて。
もう会えないんだ、皆が少しずつ話題に出さなくなっていく、この先に活動はない、どんどん皆が忘れて推しの存在が消えていくのが辛い。

そんな思いを抱えながら、みずしーの動画の概要欄を読んだ。

自分のアーティスト生命があとどれだけあるのか
まだまだ大きくなりたいのにここで尽き果ててしまうのではないか
いつか君の記憶からなくなってしまうのではないか

自信や希望には常に劣等感や恐怖が共存している

それでも

ずっと歌い続けること
たとえ"水科葵"じゃなくなったとしても

これだけは諦めたくない忘れられないような歌を
君に届けられますように

音楽が好きで、歌手を目指しているみずしー。
度々、もっともっと大きくなりたい。歌声をもっと届けたいと話している彼女から、いつかを意識する言葉をこれだけ直接ぶつけられたのは初めてだった。

正直、泣いた

だって怖かった。いつかはやっぱり絶対に来るって知ってたけど、上手く忘れたふりしてたから。
それと、悔しかった。おこがましいかも知れないけど、推しをもっと有名にすること、推しの歌声をもっと沢山の人に届けることがまだまだ出来ていなかったから。

公開まで、これを聞いたらどうなってしまうのか不安と期待で爆発しそうだったが、ついに公開の時間が来た。

歌声が流れ始めた瞬間から、鳥肌が立ってそれが止まらなかった。
色んな歌詞が彼女の歌声で歌われて、歌詞が推しである彼女と重なる度に涙が溢れてきて、1つ目のサビに差し掛かる頃にはボロ泣きで涙で目の前の景色がにじんでしまった

ちょこちょこと色んなみずしーが動くMVは可愛らしい部分もあり、それに反応するコメントもあったものの、MVをしっかり見る余裕が無くてそれどころじゃなくて、後でもう一度見直した。
そして「大丈夫 ずっと私は歌い続けるから」という歌詞。
手書き風で描かれる歌詞が見えて、伝わり方がもう全然違って。
ああ大丈夫なんだ、ずっと歌い続ける限り応援出来るんだ。って思って、悲しいやら嬉しいやら良く分かんなくなった。
そこから畳み掛けられるラスサビで、うわぁー!!ってなってボロ泣きで涙を拭っていて後どうなったのかあんまり覚えていない。
気付いたら最後になっていて、スッと音が消えるタイミングで浮かび上がる『いのち』の三文字を見て、また泣かされた。

は当たり前じゃなくていつかは必ず来るけれど、そのいつかまで彼女は歌い続けるだろうし、自分も応援し続けるんだろうなって。

二度目の視聴で気付いた点としては、ノイズの表現。
2サビ後の「ふさぎこんだあの日を」のフレーズでノイズが走って後ろを向くみずしーと、次に同じノイズが走るとキーボードを弾くみずしー、最後にノイズが走ると踊ってるみずしーが居る所。

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これが、「あの日」がみずしーの過去で、キーボードが配信を始めて弾き語りをしているみずしーで、踊ってるのがアイドルになったみずしーを表しているんじゃないかって解釈をした。

彼女は普通の女の子から、配信を始めて弾き語りの配信をし続けて、アイドルになり踊るようになった子だ。だから今まで歩いてきた道のりすら『いのち』として描いているんだって思って、また泣いた。
本当は違うかも知れないけど、一つの解釈として。

裏話、それからの形

動画公開が終わって程なくして、動画制作にあたっての裏話や後日談的なことを話すサウンドオンリー配信が始まった。

ファンを絶対に泣かそう!とMVが作られたらしい話や、様々な動きをするみずしーのポーズにはどんな意味があったのか解説していったり、どの様な意味を込めて歌うかを考えたことだったりを話していた。

それから、これから先夢を追う彼女達が変わっていく中で、GEMSCOMPANYの水科葵としての自分をたった一人でも忘れて欲しくないから、忘れられないものを作ろうと思ったこと。
この先皆がそれぞれの夢を追う以上ジェムカンの第一章が終わって、別々の道を行くタイミングがあって水科葵じゃなくなるかもしれない、と。

ついに来たか、と思った。
別々の夢を追う12人が同じアイドルグループに居ることに、ちょっと疑問を覚えたことはある。でも、あんまり見ないようにしたというか、アイドルでありながら出来るんじゃないかって思ったりしていた。

でもやっぱり、ポジティブな理由であっても第一章が終わること。つまりは形は違えど、この文章で度々言っているいつかをメンバーのみずしーも、少なからず意識してるんだな。と気付かされた。

気付かされて、今まで振り返って考えて解釈して。
もしもいつかジェムカンがジェムカンじゃなくなっても、彼女達が彼女達じゃなくなっても。
それまでのジェムカンと彼女達もずっと好きだし、それからの第二章のジェムカンと彼女達も応援したい。そう、思った。

やっぱり全員好きな、いわゆる箱推しは皆居て箱推しなんでしょ?って自分で思ったりもするし、思われることもあるんじゃないかって考えたりするけど、ジェムカンは少し違っていて
12人全員がそれぞれ好きで、12人が集まっても好きで、だから例え12人の道が分かたれたとしても12人がそのまま好きな気がする。

これからも精一杯、今しかない瞬間が永遠に続くことを祈って、もっともっと推しを人に推していきたい。

最後に

ここまで読んでくれた方ありがとうございます。
感想文にしては長かったけれど、今の感情はいつか忘れていっちゃうから、それはちょっと嫌だなって残すことにしました。

沢山気持ちを言葉にして、残して忘れても消えないくらいにしちゃえば、どうやっても消えないんじゃないかって思ってnote書いてたりもするので。
これから先も色んなnote書くと思うので、良かったらお願いします。


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