日本の儒学

日本は中国から学問、技術を導入してきた。
それは正しいのだが、同時に丸ごと輸入することはあまりなかった。

江戸時代の話になるが、荻生徂徠は儒教を学びつつも日本の自然を愛でる柔らかな心、感情を入れることを薦めた。これはのちに本居宣長の惟神の心(かんながらのこころ)にも通じる。

日本人の本来の心は、理論ゴリゴリというより自然美、四季を感じ喜び、悲しむようなあり方で、そうしたものを取り入れた。

同じ儒教といっても日本と中韓の在り方は異なる。
中韓は孝>忠とした。
これに基づくと、貴族、両班優先主義となり、汚職に繋がる。
ファミリービジネス優先となり社会格差は広がり、革命や破綻に至る。
これに対して日本は忠>孝とした。

これにより汚職しない、公に資するという文化を構築した。
家族を犠牲にする、滅私奉公が現代的にいいわけではないが、社会が公に資する人物をそれだけ顕彰するのであれば成り立つし、成り立ってきた。

上が腐敗してくると社会全体がやる気をなくす、というのも事実だろう。逆に上が尊敬すべき模範であればそれに従う。
大阪万博も実施前から破綻しそうな匂いがするが、オリンピック利権と同様の土建を含む動きがあり維新の汚職と当てが外れた責任放棄のように見える。

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230924-OYT1T50156/

今の社会はもう少し襟を正しても良いのではないだろうか。

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