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「ありがとう!スローリュ小林ミキティ!!」天然温泉 平和島 スローリュ小林【井上勝正『サウナ哀・戦士』最終回】

熱波師・井上勝正が、全国各地の温浴施設で戦う“サウナ戦士”たちの哀愁に満ちた人間模様に切り込むインタビュー企画。

「天然温泉平和島」には実はこの月刊サウナの前身である、フリーペーパー「湯きち」時代にボクは取材に行っている。
あれは何年前だったのか?
当時の支配人の方に取材した。
「いま、ウチは景気が良い」とおっしゃっていた。
羽田空港からの無料送迎バスがこの「天然温泉平和島」直通で毎日運行されていて お荷物一時預かりには外国からの旅行者のスーツケースがズラリと並んで置ききれなくなった分はフロントの後ろ側にまで達していたほどだ。

(因みに羽田空港から天然温泉平和島への無料送迎バスはコロナ禍で一時中断していたが、現在は復活しています)

当時は岩盤浴は無かった。

もちろんスローリュ小林さんこと、
小林三貴子さんはいなかった。

そして特別サウナが好きだ、と言うふうなお客さんも居ない様に見えた。

天然温泉平和島 スローリュ小林さん

小林さんとは「熱波師検定B」を受講された時に初めてお会いした。
いつの熱波師検定だったかはっきり覚えてないが、比較的初期の頃だったと思う。
小林さんに自己紹介されて、少しお話させていただいて
天然温泉平和島に岩盤浴が出来て、
そこには
ロウリュヒーターが設置されているサウナがあって、自分達はそこで
「ウチワを使って熱波をしています」と、言う事だった。

スローリュ小林
「岩盤浴のサウナで熱波を始めた頃、当時はウチワを使っていたのですが、とにかく強く扇げば喜ばれるという感覚があり、内心これなら1位になれるかも!これだけは頑張ろう!と思っていました」

スローリュ小林さんのウチワでの扇ぎを見たことがあるが、それはそれは力を込めて振っていた。
ボクも見ていて一番に成れる様に感じる扇ぎだ。

スローリュ小林
「ただ、そのときは自分自身特にサウナにハマっていた訳ではなく、
サウナを好きになったきっかけは、ドラマ「サ道」を観たり、マンキツ先生の「湯遊ワンダーランド」を読んでからです。
それまでは、水風呂に入らないタイプだったので、実際にサウナ→水風呂→外気浴を繰り返して、ととのいを知った瞬間からどハマリしました。
一時は、温浴施設に行っても、お風呂に浸かるのを忘れてしまった時もありました。
今では、お風呂も、マッサージも、食事も、全てバランスよく楽しむのが温浴施設の楽しみ方だと思う様になりました」

スローリュ小林さんが属している企業は様々な事業を手掛けている。
鉄道、多種に渡るレジャー施設(温浴もその一つ)
一括りに「レジャー」と言っても個々で全くと言ってもいいほど性質は異なる。

学生時代に海外への留学経験もあり、「違う文化」の人達と密に接した経験のある小林さんはこの温浴部門に携わり何を感じたのだろう、

スローリュ小林
「最初は、閉鎖的で横の繋がりが少ないと感じました。
他店舗と関わるのはNGという感じです。
私は、ハードウェアが変わらない限り、イメージやサービスの一新が出来ないような気がしましたけど、それでも人の力(ソフトウェア)で何かを変える事が出来るかもしれない…」

そう強く思ったのだという。

熱波師検定後、やがてスローリュ小林さんは天然温泉平和島、岩盤浴サウナのパーソナリティになっていた。
自身がソフトウェアとして前に出た。
そう成ろうと考えたワケではなかったと思うが、
小林さんの「サウナが好きだ」と言う気持ちが天然温泉平和島の岩盤浴サウナの空間を包みこんだのだ。

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