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歌う女【サウナのサチコ『裸の粘土サウナー』第27回】

サウナ支配人や熱波師をかたどった粘土造形を手がけるクリエイターにしてサウナー・サウナのサチコのサウナ訪問記。「ととのった」と感じるまで半年かかったという不器用サウナーならではの独自目線で、サウナ施設とそこに働く人々の魅力を切り取ります。

私の頭の中には常に歌が流れている。
それは物心ついた頃から現在まで変わらず、毎日欠かさず、朝起きてから夜寝るまで脳内に歌が流れ続けている。別段、それについて困ってはいない。煩わしさもない。ただ頭の中の歌がつい、口をついて出てきてしまうことだけは非常に困っている。

それは鼻歌なんてもんじゃない。私の場合、はっきりとした歌詞を含んだ歌になって出て来る。お風呂やトイレで歌うのは当たり前、会社で仕事をしていてもうっかりすると歌っている。自転車を漕いでいる時も無意識に歌い出し、通りすがりの人に振り返られたことも何度もある。酔っ払いだと思われたかもしれないが、もちろん私は素面だ。

子どもの頃から歌うことが好きだった。母の影響で覚えた懐メロ、昭和歌謡を一日中歌って過ごした。アイドルの歌も好きではあったが、自分で歌うなら昭和歌謡の方がしっくりきた。しかし家族の誰も、私の歌を褒めない。いつか歌手になって徹子の部屋に出ようと、鏡の前で練習もした。歌の練習ではなく、なせ歌手になったかの流れを説明する練習だ。舞台に立ち、人前で歌いたい。大好きな歌を褒めてもらいたい。その願いはどんどん募っていった。

しかし小学校では人前で歌う機会はなかった。音楽の時間に合唱もあったが、皆で歌うことには興味がない。さらに合唱曲の前向きな歌詞や、壮大な曲は好きになれなかった。私が歌いたいのは、安アパートで生きることに疲れ、愛することに疲れた女の歌なのだ。

中学に入ると歌のテストがあった。舞台ではないが、人前で歌えるチャンスがようやく巡ってきたと私はワクワクした。テスト曲は「この広い野原いっぱい」。あんまり好きではないが仕方ない。短い曲だが仕方ない。私はテストの日まで、何度も家でシュミレーションした。歌のシュミレーションではなく、私が歌った後の、皆が感動している顔を脳内でシュミレーションしていたのだ。テストはピアノ伴奏で行われると聞いた私は、念のためにその準備もした。当時、無駄に習っていたピアノの先生に「レッスンしてほしい」と頼んでみた。先生は快く伴奏してくれた。ピアノの音が聞こえてくると私はふと「家族以外の前で歌うのは、これが初めてだな」と思った。その途端、喉が締まるような気がした。歌い終えた私に、先生は感想を述べることもなく、微妙なリズムの違いだけを指摘した。それを私は勘違いした。きっとその程度しか直すところがない、完璧な歌唱力だったのだろうと。

テスト当日。クラスの皆は照れもあるのか、適当に歌っている。うまい人など一人もいない。私の番が来た。名前を呼ばれて立ち上がると、何故かまっすぐ立てずにふらついた。ピアノに合わせて歌い出す。自分の歌がよく聞こえない。喉から声を絞り出す。歌い終えると、皆が静まり返っている。思惑通り、感動させてしまったのだろうか。するとどこからか「本気じゃん」という言葉と、くすくす笑う声が聞こえてきた。私は自分の顔が赤くなるのがわかった。皆は私の歌に感動しているのではなく、「この広い野原いっぱい」を力いっぱい歌う人間に驚いているのである。下手なくせに本気出してると思われた・・・。そこまで言われていないのに、私はそう受け取った。そして「昭和歌謡ならうまく歌えたのに」と思うことで、なんとか自分を保った。

高校時代はバンドブームだった。友達は何人もバンドを組んでいた。当時好きだった男の子もバンドを組んでいて、文化祭で演奏することが決まっていた。ボーカルは隣のクラスの女の子。大してうまくもなかった。私の方がもっとうまいのに。そう思いながら、「私をバンドに入れて」と誰に頼むこともせず、誰かに「一緒にバンドをやらないか」と声をかけられることもなく終わった。ただ一人、田舎道で昭和歌謡を歌いながら、まっすぐ文房具屋のバイトに向かう高校生活だった。

その後も、ずっと私の頭の中には歌が流れ続け、私の口からは歌がこぼれ続けた。カラオケに行って人前で歌うことは何度もあったけれど、音痴の友達より私は点数が低く、採点マシーンは私の歌のバランスの悪さを容赦なく指摘した。声量さえあればと、広瀬香美の弟子と名乗る人にレッスンを受けたこともある。しかしボイストレーニングの度に、いひひひ言い続けることや、ぶるぶる唇を震わせ続けることが嫌になってやめた。いやそれは言い訳で、何度通ってもちっともうまくならない、先生に褒められない、そんな自分に耐えられなかったのである。それから私は、歌とは全く関係のない勉強をし、仕事をし、粘土をこねることになった。

ところがある日、再び人前で歌うチャンスがやってきた。「なにわ健康ランド湯〜トピア」で行われた、大西一郎の歌謡ショーである。

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