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大西一郎『ある視点』

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横浜市鶴見区・ファンタジーサウナ&スパおふろの国のリラクゼーションコーナー「ケアケア」店長を務める大西一郎がカウンターの中から繰り広げる視座の世界。 大西一郎 Twitter … もっと読む
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#温浴施設

エーワン東京【大西一郎『ある視点』第32回】

私の自宅からおふろの国まで徒歩5分。その道のりの上にさえも、一軒ある。例えば、うちのセラピスト、竹内が大田区から通う道のり、小林が埼玉から通う道のり、私の地元、兵庫県から新幹線に乗ってここまでやって来る道のりの間に、一体何軒あるだろうか。 今やっていることと同じこと、望めば働かせくれるところ。リラクゼーションの店。それなのにここで働く理由。それはもう、「縁」としか言いようがない。 個人的な話をすれば、私が今勤めている「おふろの国」のリラクゼーション「ケアケア」にたどり着く

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知らない言葉 【大西一郎『ある視点』第28回】

私は毎月、第一日曜日の午後9時から、おふろの国のリラクゼーションコーナー「ケアケア」の前で、30分程の歌謡ショーを行っている。自分の持ち歌を歌うことも、他人の歌を歌うこともある。喋ってばかりであまり歌わない時もある。それはその日の気分次第だ。 この日はこの歌を歌う、ということに対して、いつもなにか理由を作る。それはこじつけだったり、つまらないダジャレだったりする。何か抽選会が行われている時には、「皆さんに良い景品が当たるように、わたし祈ってます。」とか言って、「わたし祈って

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【大西一郎 ある視点】第25回「なにわの迷宮」

子供の頃、ファミコンが大好きだった。私が小学校高学年の頃、スーパーファミコンが発売され、それまでのファミコンとは全く違う、画面や音の美しさにものすごく驚き、感動した。 高校生ぐらいの時にプレイステーションが発売され、それはそれで感動したのだけれど、ファミコンがスーパーファミコンになったときの衝撃は超えなかったし、段々ゲームが複雑で面倒になり、大人になる頃にはゲームそのものに興味がなくなった。 私の中でゲームは2000年前後で時代が止まっており、いまだにプレステ2の画面の美

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【大西一郎 ある視点】第24回「くりりん」

「手に職を付けたい。」と言って、OFR48くりりんこと栗原がケアケアにやって来たのは4年前。おふろの国からの紹介だった。 そのもっと前、私がおふろの国に来るよりも、おふろの国にケアケアができるよりも前に、おふろの国の清掃スタッフとして働いていたくりりんは、おふろの国の中の多くの人達と顔なじみで、「くりちゃん」と親しまれていた。 私がくりりんに初めて会ったときの印象は、今、OFR48として歌って踊るはつらつとした印象とはちょっと違っていた。「こういう子が居るんだけど。」と呼

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