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池波正太郎と寺山修司とカレーライス

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 寺山修司「街に戦場あり(13):歩兵の思想」
 『アサヒグラフ1966年12月9日号』個人蔵

富山市に池波正太郎が愛したカレーライスの店がある。著名人行き付けの店をありがたがるのは趣味ではないが、食べ物に関心の強かったことで知られる池波正太郎の名前を出されてはちょっと事情が変わってくる。何年か前に富山市在住の友人からそのことを聞いて以来、何度か訪れようと試みたのだが、その店は平日の昼しかやっておらず、最近まで縁が無かった。

先日、偶々都合が付いたので食べに行くことができた。カウンター席に腰を下ろし、野菜カレーとコロッケを注文した。出てくるまでの間は漫然とスマホを弄っていたのだが、油の爆ぜる音にふと顔を上げ厨房を見やると、パプリカやズッキーニと思しき色とりどりの野菜が素揚げされていた。家庭では、ましてや一人暮らしではこれが手間なんだ。

程なくして運ばれてきたカレーは、確かに美味かった。いや、正直に言えば悪くないと思った。だが、何が美味いのか取り立てて褒める点が見つからない。野菜は噛み潰せば甘味が染み渡るし、コロッケの舌触りも滑らかだ。だが、それはカレーという総体の美味さとは違う。期待しすぎてしまったかな、と微かな不満を宥めつつ店を出た。

その日の晩、私は飯田橋にいた。新幹線のお陰で最近は日帰りばかりだったので、前乗りするのは久しぶりである。折角だから美味いものを食おうと思い、宿周辺の店を予めリサーチしておいたのだが、花金の喧騒を完全に舐めていた。いっそコンビニで弁当買ってホテルに引っ込もうともしたが、流石に味気なさすぎる。

さてどうしよう。看板にレトルトカレーのパッケージで見覚えのある名前を認めたのはそんな時だった。2食続けてカレーとかキレンジャーかな、と躊躇わないではなかったが、昼のカレーに対する不完全燃焼感もあり、エイヤと飛び込んだ。

そのカレーも美味いことは美味かった。だが暫くすれば「東京のあの店のカレーは美味かったな」ではなく「あの時東京でカレー食ったっけな」という思い出になるだろうという程度の美味さだった。レトルトカレーの食い過ぎで舌がバカになったのかとも思った。こうなるともう迷路である。その晩泊まったホテルの客室に備え付けの、社長の顔写真が帯に印刷された本すらレトルトカレーのパッケージに見えてきてしまう始末だった。

だから翌日、隙間時間に訪れた東京国立近代美術館の中平卓馬展で、氏が撮影しグラフ誌に掲載された「満員電車に詰め込まれたサラリーマンの写真」よりも、その横の「カレーとラーメンを対立軸にしてサラリーマンの幸福を考えるエッセイ」の方に注意が向いてしまったのも無理からぬことである(ヘッダー画像参照)。エッセイの作者は寺山修司。有名な文筆家で競馬ファンだった、という程度の認識しかなかったが、そのエッセイは面白くて考えさせられた。少なくとも前日に食べた2皿のカレーより余程記憶に残る味だった。

曰く、サラリーマンには「ライスカレー型」と「ラーメン型」がいて、前者は保守的で後者は革新的なのだという。インスタント食品は別として、ラーメンは家庭で作れぬ街の味、カレーは家庭の味だと対比させる。その上でカレー(家庭)さえありゃ幸せだとするのは現状を良しとする小市民だとし、お前らそんな小さく纏まってないでデッカく生きようぜ、と結ぶのである。

もっともカレーと一口に言ってもその種類はあまりにも豊富である。欧風カレー、スパイスカレー、ナンと一緒に食べるインドカレー、プーパッポンやマッサマンのようなタイカレー。あるいは黒くてドロっとした金沢カレー、札幌で食べた骨付き肉入りのスープカレー。これらはどれも皆美味いが、家庭の味かと言われれば疑問である。

カレーの事を思い返すと、いつ食べたか、誰と食べたかという記憶ばかりが浮かんでくる。その中で最も古いのは、家族4人でテーブルを囲む夕食の風景。青い花の模様のプレート皿に盛られたカレーへ、正面に座る父親の真似をして醤油を垂らして食べたその味が、私にとってのカレーの原点かもしれない。

確か父も、小学生の頃に給食で食べたカレーシチューが美味かったとか脱脂粉乳が不味かったとか言っていた。父の小学生時代は池波正太郎が富山でカレーに舌鼓を打ち、寺山修司がライスカレー派をアジり、固形のカレールーが家庭に普及していくのと概ね時を同じくする。

先年家族旅行で神戸を訪れた際、中華街に行こうかビフカツにしようか話していると、父が視界内にあった全国チェーンのカレー屋を指差して「あそこでいい」と宣った事があった。そんな父を押し留めて結局はビフカツの店に入ったのだが、そこでも父はトンカツを注文した。今にして思えば、これこそがライスカレー派的な行動様式なのだろう。

先の寺山のエッセイにはヒレステーキをゲテモノ扱いするライスカレー派の話があり「そんな奴おらんやろ」と笑っていたのだが、よくよく考えると父がそうだった。肉汁滴るミディアムレアのサーロインに「生焼けじゃないか」と憤るような人だったから、神戸まで来てトンカツにしたのだろう。メニュー写真のビフカツは、そういえば中央がほんのり赤かった気がする。父が一番行きたかっのたは例の壱番屋だったのかもしれないと思うと、少し心が痛む。

カレーというのは美味い不味いの振れ幅が高めで安定している。ヘビやらトカゲやらの臭い肉であってもカレー粉をまぶせば食えたものになるのでサバイバルには重宝する、なんて話も聞いた事がある。家庭や給食のカレーのように料理の完成度としては平凡であっても十分美味しい。そこに思い出やら何やらの補正が加わると、完成度の高いはずのカレー屋のカレーよりも家庭の味の方が美味しく感じるなんて逆転現象が起きるのだろう。ラーメンではこんなことは起きまい。成る程、カレーとは畢竟家庭の味なのだ。

パウル・クレー《花ひらく木をめぐる抽象》
コレクション展で一番惹かれた作品

館の前の桜並木は未だに蕾のままだというのに、気温だけは夏日に迫ろうとする昼下がり、前庭でキッチンカーが軽食を販売していた。冷やし甘酒を買い、ラス1だからとオススメされたプリンもついでに買い、緋毛氈の敷かれた腰掛の上で頂いた。このプリンが大層美味であった。過去一美味いプリンだとさえ思った。カレーのデザートとしては極上だった。

カラメル代わりの桜色のジュレが何とも春らしい
(なお最高気温24℃)


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