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24ss

24SSのコレクション見返した。
10月初旬に1年ぶりに会った友達と、自分にとってのロールモデルはいる?という話になった。その子がサラ=リン・トランの名を挙げた。彼女はルメールのデザイナーで、「日常のために服をデザインする」という信念をもってクリエイションを行っている女性で、「彼女は今まで何でも理屈で言いきらないと気が済まなかった私の性格とは正反対で、心の余裕、豊かさ、器 がある前提で、同時に恋愛や料理、読書など他に大切なことを考えることができるようになることを服を通して教えてくれた。どれだけ仕事でキレそうなことがあろうとも、サラを思い出すと、ちょっとだけつよくなれる」と友達は言った。ルメールの根本は何も変わってないが、近年のルメールは各々本当に綺麗なデザインで、柔らかいからこそ強いを一貫して表現していて美しい。

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自分にとっての服の理由って何なんだろう
表現としての衣服を論考出来るのは恵まれた環境にいるからだという人がいた。一体どういうことか?
衣服とは本来、自然環境から身を守るためのものである。汚れから皮膚を守り、皮膚から出る汗を吸収して清潔に保つのが衣服の役割だ。へそ出しという行為はむしろ安全の面において逆光する。

私の熱意はむしろどのような外見でありたいかに向けられていたのでその理由を考えてみた。
弱さを見せたら利用され、強さを誇張しあう社会の視線に対して疑問があった。そしてその疑問を持つこと自体馬鹿だという無力感に襲われる時があった。辛かった。健康の為にも、自然体でいられることは重要でそうであろうとする私を、衣服は大いに助けてくれる。

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