武道と「自分と向き合いたい症候群」

営業先の雑談で「高校卒業まで14年間剣道をやってました」と言うと「だから礼儀正しいのですね」とか「だから落ち着いているんですね」とか言われるのですが、これまで生きてきて、それとこれとはまったく関係ないと確信してます。そんなことを考えていてふと、学生時代の大半をなんで剣道に捧げたんだろうと疑問に思ってしまったので、ちょっとまとめてみようと思います。

内向的で、人に気を遣って本音を言わないで生きている僕にとって、剣道は違う自分になれる場所でした。本当はよくないのですが、面をかぶっていると、感情をちゃんと表に出せました。試合に負けて面の中で泣いたり(汗にまみれてバレないんです)、ムカつくことをされて竹刀で思いっきり相手をたたいたり。普段おとなしい自分をちょっとだけ荒々しくさせることができた場所だったんだと今は思います。

年齢が上がってくると「感情を抑える」ということを通り越して、どうやって「その感情が起こらないようにするか」という境地にいたり、受け流したり、いなしたりする術を身に着けていったように思います。よく武道で言われる「平常心」を保つというやつですかね。感情を出すも出さないも、とにかく自分に向き合っていかないといけないですし、その中で自分を高めていく感覚っていうのを、剣道を通して身体の芯まで身に付いたようや気がしてます。


他人からいろんな力をもらって生きてる人を見ると、うらやましいなぁと思う一方、こうやって自分と向き合って自分の中で力を練り上げていくの方が自分には合っていたから剣道を続けていたのかなと思います。

剣道をやめて10年以上たちますが、武道とか華道とか芸術とか音楽とか、自分と向き合い続けなければならないものに惹かれる原体験は、ここにあったのかもしれないなぁと改めて気づきました。ただ、営業の雑談ですら自分と向き合うきっかけにしてしまうぐらい、自分が「自分と向き合いたい症候群」だということが1番の発見でした。

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