私の履歴書

新聞記事が元ネタだそうだが、今日の
チームミーティングで”私の履歴書”というものを
知った。

いわば自分のこれまでの人生の出来事を
最上級が100、真ん中が0、
最下級がー100として年表のようなものを作成し、
どんなことが自分にとっての幸せなのかを
知ろうというワークがあった。

また、その人のルーツを知るきっかけや
こんな一面を持っているんだ、というような
人となりを知る上でも使われているらしい。

毎週ミーティングではテーマを持ち寄って発表があり、
今回はこの内容を元に順番に回すことになった。

自分の過去を振り返ると、その当時にとっての大事件は
今はそうもダメージを受けないような気がする。
これは重ねた年数のおかげだろうけれど、
受け止め方が変わってきている分
割と前向きに捉えられることも多いのでは
ないかと思うのだ。

私の発表はまだ先だけれど、一度考えてみた。
今思う最大の事件といえば中高時代の
女子の間に挟まれる煩わしさだったと思う。
あの小さな決まりある箱の中で、
窮屈で理不尽で、とにかく早く大人になって
自由になりたかった。
卒業とともに解き放たれた私は、解放感に満ち溢れ
まず手始めに堂々とややこしい相手との
連絡手段を絶ったことを鮮明に覚えている。

子供ってたいへんだな。
社会人の人付き合いも大変だけれど、
まだたった20数年ぐらいの人生だったとしても
それなりのパターンを見てきたはずだから。
15歳なんて、決められた世界でうまくやっていく方法も
まだ壁にぶつかったかどうかも気づいていないような
心細い時期に、理性を保ちながらも集団や大人には
うまい立振る舞いを求められるのだ。
正直つらかったし、あのときの自分に寄り添ってあげたいぐらいだ。

今の自分で当時にタイムスリップしたとして、
うまくかわせるかといえばそれもまた
難題なようにも感じる。
大人の私が中学生をはたから見ているなら
まあ思春期だな、ぐらいには思えるだろう。
でも、中学生の世界の中で生きるのは
向き不向きがあるレベルで多感で繊細な労働だと思うのだ。

乗り越えれられない壁はきっとないんだろうし、
そうやって今があるのだから必要なことではあったんだろう。
この経験が私を作り、育ててくれたことで
知ることも多かったのだから。

ちなみにピークでいえば、社会人になってからの
一人暮らしをした数年間だったかな。
仕事である程度のお金を自分で稼げるようになったり、
選べるし決められる。ただただ自由だった。
これをグラフに当てはめて相対的にみると、
自由の有無が大きな指針になっていることがみえてきた。

いや、結婚も大きいな。
心の安心感を知ることができた実感があったから。
結婚するに至っては、自由人が人と暮らすことが
できるのかという不安はなくはなかったが、
一人でいるような気楽さが結婚の決め手だったから
やはりベースは精神的な自由なんだろう。

常々今が一番楽しいと思って過ごしているから、
この調子でいくと上り調子でしかない予定なんだけれど。
とりあえず、ミーティングで自分の番が回ってきても
発表にはちょっと重たそうだから
どこまで掘り下げるか準備しておかないとな。

周りの人のルーツや考え方を知るはずが、
これから大切にしたいことがぶれていないかの
確認作業になった。
私にとっては自由を守ることが自分を守ることになる。
同様に、他の人が自分の大切にしたい何かに気付けたとき、
解決の糸口になればいいな。