推される側には2種類いるんじゃないか?って気づいた話

G3です。今回の記事執筆のBGMは、煉獄庭園さんの「見えない何かに怯える夜2」です。ひぐらしのなく頃ににも使われた名曲ですね。ご存じない方は無料配布されてますからググりましょう、と思ったらHPが閲覧できない状態になってたんですね…ありゃりゃ……

さて、タイトルですが「あー…推し事にも色々あるのね…」って感想です。口頭で本記事のことを伝える時には絶対「あー推し事にも色々あるのね…って思った」と言う自信があるので、「良くも悪くもG3はこういう人間なんだへぇ~」とでも思いながら読んでやってください。

それから、普段はダラダラと長文を書く悪癖があるんですけど、この記事は頑張ってスパっと書きます。普段は、一言で言えば憶病なので波風立たないようにしてますが、本記事は批判も結構、どーぞどーぞと思ってるので。

…本記事最後の波風立たないような文言を書いておくと、ケンカはどーぞどーぞじゃあないです。批判とケンカの区別はつけましょう。批判は議論、話し合い、つまり双方が歩み寄ってゴールなり妥協点なりを目指そうという試みです。これは嫌いじゃないので受け容れます。ケンカは一方的に自分の主張を受け容れろ、って話なのでお断りです。私にも自我がある。

その2種類とは

それは、

・推されると嬉しいけど、そこまで推されなくても大丈夫なタイプ
・推されないと生きていけないタイプ

ですね。

率直に言って私の推しはほとんどが前者です。で、最近後者が出てきて「なーんか世界が違うんだよなぁ。何が違うんだろうなぁ。推す側の雰囲気も全然違うし。モヤモヤするなぁ…」と思っていたのですが。上記の分け方で考えるとあぁなるほどと腑に落ちました。腑に落ちただけで「あー推し事にも(ry」な感覚が芽生えたわけで、モヤモヤは取れてないですけどね。

もちろん、後者が嫌いなわけではないし、後者を推す人たちが嫌いなわけでもないです。また、前者も全く推されないとアウトであることには変わりありません。

推されると嬉しいけど、そこまで推されなくても大丈夫なタイプ

こっちは簡単です。"あまり"採算を気にしてないのが特徴です。あまり、が重要です。「細かな」、「ささやかな」と言い換えられるかも知れません。

これの代表的なものは、最近人気なものだと、ウマ娘ですかね。私は触れていませんが、コンテンツ制作の経緯を見れば分かります。

あのゲーム、一回リリースしたらバグだらけだったもんで、ほぼ一から作り直してるんです。コンシューマーゲームならともかく、基本は課金(≒推し行為)が収入のソシャゲで一から作り直しなんて、普通はできません。だって、開発資金どう回収するんですか、って話です。

この話、逆に考えれば「細かい金は気にしてない」って思いませんか。お金が全てじゃないけれど、そこまで推されなくても大丈夫、を体現してると思います。

あとは収入以外を目的(主に趣味)に創作活動してるタイプの人や集団ですね。もちろんファンがつくことは嬉しいでしょうが、ファンがつかないからといってそこまで困らないでしょう。寂しくはあるだろうけど、やめても死にはしないし、人目につかないところで続けるという手もあるし。

推されないと生きていけないタイプ

難しいのはこっちですね。「生きていけない」の意味が2つ当てはまると思っています。

・収入がなくなってしまい、経済的に生きていけない
・承認欲求が満たされず、精神的に生きていけない

前者は、推されることが生きることで、まさしく推されないと路頭に迷うタイプです。今のご時世、非正規雇用とかフリーターとか実家の稼業を継ぐとかして生きるしかなくなっちゃう、と言えばいいでしょうか。他人事だからこんなこと書けますけど、自分がこの立場じゃこんなこと書けませんよね。だって、こんなところを見られたら推されなくなってしまうもの

生きるために推され、推されるために生きる。そしてそのサイクルは単調なものじゃなくて、新しい試みだったり、よりグレードアップしたものを見せていかなければならない。気の抜けない立場です。

最初の章で述べた「推す側の雰囲気も違う」というのもここからきている部分もあるのだろうなと。推される側が、こうやって推してくださいね、とアナウンスしていればそりゃそうなりますよね。推す側はその通りに推す。何故なら推しがそう言ってるから。
推されなくても大丈夫なタイプもアナウンスはしていますが、それは所謂利用規約だったり法的根拠だったりするものです。推す側はその通りに推す。何故ならそれを守らないと怖いから。

で、後者の承認欲求が満たされないタイプは、推されることが活きることですね。推されることで生きるためのエネルギーを得られる、そんなタイプです。
と、いうより前者は後者とのハイブリッドが当然大多数でしょうね。推されることがエネルギーになって、それを糧に生きるために推される活動をする。そうでもないと、ただ生きるためだけに好きでもなく推される活動をするのって難しいでしょうし。

ちなみに後者のみの場合もありますが…それは正直、承認欲求オバケですね。。。多分、自己肯定が苦手な方なのかなって思います。どうか、大切な人を見つけて幸せになってください、と私は思います。

そう考えると、推されないと生きていけないタイプは、多かれ少なかれ、ちやほやされるのが好きなんですね。だから推す側もちやほやする。ずっと推されなくても大丈夫なタイプしか推してこなかった私としてはここが良くも悪くもカルチャーショックでした。
ただ本記事は推す側じゃなくて推される側についての記事なので、この話はまたいずれ。

「でもこういうのってどうなの?」

たとえば、歌手ユニットのゆず。彼らが路上の弾き語りからメジャーデビューしたという話は有名ですね。すると、彼らはここまでに述べたどのタイプに属するの?という疑問が出てきますね。
まず、路上で弾き語りしてる頃は、推されないと生きていけないタイプだったでしょう。そりゃ生活費は別で稼いでいたにしても、人として生きるのとミュージシャンとして生きるのとを分けて考えれば、やはり推されないと生きていけないタイプだったはずです。
じゃあ今は?
これはあくまで私の想像でしかないですが、今も彼らのマインドとしては、「推されないと生きていけないタイプ」なのだと思います。ファンあっての自分たち、という気持ちがあるはず、と切に願っています。
ただ、生きていく、という観点にだけ絞って述べれば、「そこまで推されなくても大丈夫なタイプ」にも見えますね。もしそんなスタンスでいられたら、アーティストとしては正直私は尊敬できなくなってしまいますが。うーん難しい。

そんなことを書いた上でこんなことを書くのはとても勇気がいるのですが、ライブではほんの数曲しか歌わない松山千春氏。彼は「歌しか歌えねえやつは何曲も歌わなきゃならない。俺みたいなのはそんなに歌わなくてもほらこうやってやってける。(意訳)」みたいなことを言うそうで…(間違ってたらごめんなさい)。なんだか、漫談を聞きに来たのか曲を聴きに来たのか分からないですね。
まぁ、これが事実として、彼の場合は…どちらかといえば「そこまで推されなくても大丈夫なタイプ」に思えませんか?うーん、やっぱり難しい。

で結局何が言いたいの?

どちらも推されるような活動はしてはいるけど、そのための比重の置き方に随分と温度差があるなと思っています。で、なんで比重の置き方に温度差が出てくるかと言うと、嫌な話ですけどやっぱり資本がどれだけ手元にあるかって話になってくるのだと思います。

特に昨今増えているVチューバ―など、スタートアップにかかる費用は、事業としてやるのでなければ、結構少なめ(と思いますがどうなんだろう)だと思います。まぁ少なくとも一つの会社を立ち上げることに比べれば、費用に絞って見てみれば少なくなるでしょう。これも技術の進化の賜物、ということでしょうか。

あとは折角ゆずの話を出したので触れますが、インターネットの普及によって推される側が知られやすくなったというのはありますよね。彼らは本当に路上での口コミからスカウトの目に留まって、という流れですから。そう考えると、誰でも推されやすくはなっている、というのは間違いなくあると思います。
Vの界隈ってそのあたりどう考えてるんだろう、というのが私の中でまだ解消しきれていないモヤモヤの1つで。キズナアイの活動休止に関してはかなり衝撃が走っていましたが、地道に成りあがったゆずが活動休止、ってなったら同じだけの衝撃が界隈に走るのかなって。歩んできたor歩んでいる軌跡は同じですよね。インターネット上なのか路上なのかは別だけれど。
界隈に同じだけの衝撃が走らないとしたらそれは…自分たちの活動を客観的にはどう見てるのかなって、私は、思います。特にプロデュースする立場の方は。

ちなみに本記事、アーティスティックな活動をしている対象を中心に話を展開してしまいましたが…
本記事はアーティストに限らず、アカデミックな領域だったり(どの学説が有力、とかありますよね。あれも推しです)、職場の同僚・先輩・上司だったり、SNSで繋がった人たちだったり。色んな環境や観点に応用が利く考え方・見方だとは思います。
読み物として「ああなるほど」と自分の中に落とすのであれば、この点も考えていただければ、よりあなたの糧となるかと思います。


……どうしても長文になるなぁ。どうやったら短くなるだろうか…数こなすだけじゃなくて何かしらインプットしないとこれは上達しない気がする…