残された者の旅ー映画『マイ・ブロークン・マリコ』の話ー
人生に別れはつきものだ。私たちは、時として、突然訪れる理不尽な喪失を抱えながら生きていかねばならない。その喪失との向き合い方やヒントを、映画やフィクションは少しだけ教えてくれる。
勝手に逝った親友の、遺骨を抱えながら旅に出る『マイ・ブロークン・マリコ』もそんな作品の一つだ。
平庫ワカ先生の原作『マイ・ブロークン・マリコ』を、『浜の朝日の嘘つきどもと』のタナダユキ監督が映画化。今年は『メタモルフォーゼの縁側』という傑作漫画原作映画が生まれたと思った次の瞬間に『マイ・ブロークン・マリコ』というこれまた傑作が生まれていたので、「2022年、どうした!?」という気持ちでいる。
そんな『マイ・ブロークン・マリコ』が、上田映劇で11月26日から上映開始となる。主人公たちの旅を見届けてほしい。映画を観た直後にも、映劇で上映が決まった直後にも、彼らの旅をたくさんの人に見届けてほしいと何度も思った。その想いのかけらを拙いながらもしたためる。どうぞ、お付き合いくださいませ。
喪失との向き合い方
これを読むあなたは大切な人を失ったことがあるだろうか。もしあるならその喪失とどう向き合ったか、聞かせてほしい。「親友の遺骨を抱いて旅に出る。」『マイ・ブロークン・マリコ』の主人公シイノは、遺骨だけでなく喪失や怒り、後悔、さまざまな感情と旅をする。その姿は苦しくもあり、あたたかくもある。
そんなシイノが旅先でちゃんとご飯を食べるところが、わたしは好きだ。食べて、寝て。食べて、寝て。そうやって明日を、一日一日を生きていく。誰かを失ったとき、ご飯なんて喉を通らないかもしれない。でも、わたしたちは、食べなければ死んでしまう。食べて生きる。それが喪失と向き合う第一歩なのかもしれない。『マイ・ブロークン・マリコ』を通して改めて実感した。
薄れゆく記憶、きれいになる思い出。
原作でも映画でも、私が一番刺さったセリフがある。
亡くなった瞬間からその人に関する記憶がどんどん薄れていく。気が付けば思い出すのはその人のきれいな、良い面ばかり。本当はそんなことないのに。めんどくさい、ムカつくって思った瞬間も何度もあったのに。そういう記憶から、凄まじい勢いで薄れていく。そんな体験がわたしにもある。思い出せる記憶がきれいなものばかりになっていくこと。それをこんなふうに語られたことに、どこか救われた気がした。
パンフレットまで旅をして
書きたかったことがたくさんある。でも、映画を思い出すたび、思い出そうとして原作やパンフレットを開くたび、目頭が熱くなり、手が止まってしまった。消化不良なのは重々承知だが、このあたりで筆を置きたい。これ以上、わたしはシイノとマリコの旅を語れない。語るには少し感情が入り込みすぎてしまった。
わたしが書きたくても書けなかったことは、パンフレットにつまってる。実写化とは、制作陣の思い、そして主演を務めた永野芽郁さんと奈緒さんの関係性と熱量。映画『マイ・ブロークン・マリコ』が作られるまでの過程もまた旅の一部であることがパンフレットからありありと伝わる。どうかパンフレットまで読んでほしい。『マイ・ブロークン・マリコ』という旅の終着点はそこにある。
上田映劇では11月26日(土)より上映開始
そんなわけで繰り返しになるが、『マイ・ブロークン・マリコ』は、上田映劇(長野県上田市)で、11月26日から上映開始となる。
わたしの拙い文章では、きっとこの作品の魅力が伝わってないと思うので、ぜひ劇場で観てほしい。そして感想を語り合えたら嬉しい。ご来館、心よりお待ちしております。
P.S.
原作の試し読みも置いておくね
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