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008|離れる

2月17日(水)犀の角(稽古場)
台本を見るのをやめた。この日、初めて通し稽古が行われた。台本を手放した私は、スマホを鞄の底に沈め、写真も撮らず、可能な限りお客さん目線でいることを試みた。休憩含めて約2時間、芝居は止まることなくラストを迎えた。あまりのエネルギーに呆けそうになる自分に喝を入れ、演出の岸さんに話を聞きに行く。「今までは大きな何かを作らなきゃいけないと思っていたけど、通し稽古をしたことでここからは細かい調整をしていかなければと思いました」話を聞いてる間、岸さんは「あと、ちょっと」という言葉を繰り返した。彼女は通し稽古を経て、より良いものを作るために必要な道筋を掴みかけているようだった。本番まであと10日を切った日の夜のこと。

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(撮影:伊東昌恒さん)

2月21日(日)犀の角(稽古場)
〈30分後に通し稽古するよ!〉犀の角の1階にあるカフェで休憩を取っていると茶色さんからメッセージが届き、そして3階の稽古場に上がった。そわそわした雰囲気が稽古場を包み込む。3分間の集中タイムを経て、芝居が始まる。芝居に見入っていると自分の笑い声が耳に入ってきた。「(私、今、笑ってた…?)」それだけじゃない、もう何度も見たはずの場面なのにドキドキワクワクしていた。物語の進行に合わせて心が、感情が動く、いや、動かされてる。物語に呼応し続ける感情を噛み締めながら、一人ひとりの演技をじっと見つめた。そして知ってるはずの結末に、初めて見たような感覚を抱いた。「役者が立ってるというより、キャラクターが立ってるように見えてきたのが嬉しい。まだまだ粗いところはあるけど、見せたい筋は一本通ったように思う」通し稽古を終えた岸さんに話を聞いてみるとかなりの手応えを感じてるようだった。「あとは無事に本番を迎え、幕が下りればいいなと思います。見てもらうのが楽しみでもあるけど、怖くもある」と、はにかんだ。本番まであと1週間を切った日の夜のこと。

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(左から2番目:舞台監督の村上梓さん)
(撮影:伊東昌恒さん)

2月24日(水)犀の角
本番まであと3日。犀の角では普段カフェとして営業しているスペースを舞台用に作り替える「仕込み」という作業が行われていた。スタッフさんたちが忙しなく作業をしている中、改めて演出の岸さんに公演までの経緯など様々な話を聞いてみた。「昨年の11月、リーディング公演をつくるワークショップに参加したんです。それが終わってまたやりたいって思ったり、他の参加者ともやりたいねって話をしたのが、今回の公演をやるきっかけでした」プロデューサーの茶色さんに、岸さんがやりたいという気持ちを伝えると、トントン拍子に話が進み、彼女が一緒にやりたいと思った役者やスタッフが集められたそうだ。

神戸から上田へと流れ着いた岸さん。見知らぬ土地で公演を行うのはかなりの挑戦だと思う。過去の公演と今回を比較してみて、そこに違いや苦労があったかと聞いてみると「自分の想いやイメージを伝えることの難しさを痛感しました」と、少し恥ずかしそうに言った。今までは付き合いの長いメンバーと共に芝居を作ってきたそうで、彼らに甘えていたと過去を振り返る岸さん。『貴婦人と泥棒』は茶色さんやトウコさんに助けられながら、作品の半分以上を役者陣に作ってもらったという。「最初に書き始めたのは私だけど、もう私の手を離れている」岸さんの何気ない言葉に驚いた。漠然と作品が演出家の手から離れるのは幕が上がってからだと思っていたからだ。「(作品が自分の手から離れることは)良いと思う。それがみんなで作る意味だと思うから。ちょっと寂しい気持ちはあるけど…」と、寂しさに嬉しさが混ざったような不思議な、でもどこか穏やかな岸さんの表情が目に焼き付いて離れなかった。

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(岸亜弓さん/撮影:伊東昌恒さん)

いよいよ明日『貴婦人と泥棒』の幕が上がる。見慣れた犀の角の風景ががらりと変わり、静かに興奮しているのを感じる。もうすでに岸さんの手を離れ始めた『貴婦人と泥棒』という物語は、観た人の心にどんなふうに触れるのだろうか。そして役者陣がもがきながらも向き合い、育んできた登場人物たちの言葉が誰かの胸に届きますように。そう稽古場の片隅で祈りながら、私は明日を迎える。

本日の一言
「緊張したら、自分ではなく稽古を信じるの」byトウコさん
(どうか無事に幕が上がり、そして下りますように)

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新作公演『貴婦人と泥棒』
【作・演出】岸亜弓
【出演】永峯克将|寺下雅二|若月彩音|田村美央|舞沢智子|石榑八真斗|山﨑到子
【会場】犀の角
【スケジュール】
2021年2月27日(土)14時/19時
2月28日(日)11時/16時
※各回開場は開演の30分前
【物語】
家事代行スタッフとして働きはじめたユキは、とある老婦人の家へと派遣されることになる。はじめは彼女の要求が理解できず苦労するユキであったが、次第に心を通わせていく。そんな中、友人であり同僚のアサヒから驚くべき事実が告げられるのであった――

新作公演『貴婦人と泥棒』について詳しくはこちらから


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