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修士論文「おわりに」

 2018年4月、私はザ・キャピトルホテル東急のORIGAMIで長島昭久さんとお会いしていた。学部時代の部活動関係で得た人脈であり、大変に憧れる人を前に私は緊張していた。政治家を志す私にとって、長島さんのご経歴と厚い信頼を寄せられる専門性は目標そのものであった。その日は昼食をとりながら、大学院進学に関する相談に乗って頂いていた。若者や学生に対し、親身になり、熱心に向き合ってくださるところは長島さんというお方の、いくつもある魅力の一つである。私が「どれだけ時間がかかっても良いので、自分に投資したい」とお話をしたところ、長島さんは「じゃあ、10カ年計画だね」と背中を押してくださった。それを受けて、私はその日の内に、自分の将来の方針を示す「10年計画」なるものを作成した。以来、それは私の羅針盤となっている。

 私が大学院進学という進路を考えるようになったきっかけは前職にあった。同年の通常国会開会中、私は衆議院議員の秘書として、自民党の朝の部会に何度か出席していた。初めて出席した外交・国防合同部会では、外交や安全保障を専門とする党所属国会議員や外務省・防衛省の官僚が出席しており、法案に関するレクチャーや議論を行っていたのだが、その時に「安全保障分野においては高度な知識・専門性が必要」であり、政治家やこれから政治家になる人物も訓練を経てそれを備えるべきであると、末席から感じたのである。学部時代、学問に励まなかった私には造詣の深い分野もなかったが、これを機に、安全保障について学び、研究したいと考えるようになったのである。衆議院議員の公設秘書として働きながら慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程を修了し、その後、米国ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)で修士号を取得した後、米国シンクタンク「外交問題評議会(CFR)」で日本人初の研究員として採用された長島さんは、外交・安全保障分野において屈指の専門家であり、私にとって眩いロールモデルだ。この時はまだ「日中関係を題材に何か研究したい」という漠然とした考えしか頭になかったが、長島さんとお会いしてから数日も経たない内に大学院進学を心に決めていた。この時はまさか、「民主党政権における安全保障政策形成過程の変容」について研究をし、その中で長島さんご本人にインタビューを行うことになるとは全く想像していなかった。研究対象期間であった2009~2012年の間、政府や民主党の中心でご活躍された長島さんの生の声をお聞きし、その臨場感に毎回心が震えていた。お忙しい中でも、この一大学院生に時間を割き、折に触れて論文の相談に乗ってくださった長島さんに心から感謝申し上げたい。

 同年7月19日、入学後に指導教授となる細谷雄一先生と面談を行っていた。大学院進学をするとなると、どこの大学で、どの先生の下で研究を行うかを考え、大学院試験を受けなくてはならない。私には大学を選ぶほどの実力があるわけでも、探すほどの知識もなかったが、大学院進学について最初に相談を持ちかけた私の友人が細谷先生の大学院ゼミ生だったことがきっかけで、真っ先に細谷ゼミの門を叩くことになった。この数日後に、私は願書と研究計画書を慶應義塾大学へ提出している。院進しようと決意してから3ヶ月のことだった。幼い頃からいわゆる脳筋で、学部時代に学業に励まなかった私にとって、研究という分野は未知の領域であり、お作法からわからない状態であったが、先生には授業やゼミにおいて細やかに目を配っていただき、いつでも優しくご指導いただいた。ご専門のイギリス外交史を超えて幅広い分野を網羅する先生は、大学での仕事に加え、講演に執筆活動に多忙を極め、毎日有識者として方々から引っ張りだこである。また、大学では一際多くの学生を抱え、大変愛されているという印象だ。私は授業についていくだけでも精一杯で、課題に追われては悲鳴を上げ、尚且つ周りは優秀な学生ばかりで縮こまっていたが、それでも食らいつくことができたのは、細谷先生の下で研究できたからだと思う。論文に関する最後の面談での「よくここまで来たね」という先生のお言葉は、涙が出そうになるほど嬉しかった。ゼミに私を受け入れてくださり、ご指導くださったこと、心から感謝申し上げたい。

 本論文執筆にあたり、多くの方々にお世話になった。特に、ゼミの先輩方には大学院入学前から大変お世話になり、論文執筆にあたっては多くのご助言をいただいた。ゼミ終わりに食事へ行き、研究の話からプライベートな話まで多くを語らうあの時間が好きだった。ゼミの同期は自分も含め8名いたが、近しい間柄なだけに大変に刺激をもらっていた。授業の合間に食事をしたり、折を見て集まって飲みに行ったりし、実に楽しい大学院生活だったと振り返る。大学院ゼミの皆様に深く感謝申し上げたい。

 本論文において、長島さんの他に、衆議院議員の吉良州司先生にインタビューをさせていただいた。吉良先生は長島さんとともに、2009~2012年に政府と民主党の中心で外交・安全保障政策を牽引された。私のインタビューには3時間もの時間を割いていただき、当時作成された資料を用いて懇切丁寧にお話してくださった。吉良先生とはインタビューを機に初めてお話したが、その真っ直ぐ現実を見据えた政治信念に感銘を受けた。民主党が政権を担った3年間で、吉良先生や長島さんのような方々が外交・安全保障分野で奮闘されたことを本論文に残すことができていたら幸いである。論文執筆にご協力いただいた吉良先生に心から感謝申し上げたい。

 家族にも感謝したい。仕事を退職して大学院進学する娘に対し、母は不安を覚え、戸惑ったに違いない。何のために時間とお金をかけ、何をしに大学院へ行くのかと。それでも私が政治家を志し、その道に邁進することへ理解を示し、政治自体に興味を持ってくれたことを心から嬉しく思う。在学中の2年間で得たものは、必ずや未来の自分の血肉になると確信している。どうか見守っていて欲しい。

 また、この2年間の内、特に最後の数ヶ月間は毎日のようにパソコンと本を広げ、住んでいるシェアハウスのリビングを占領していた。リビングの電気を点けたままその場で寝てしまったことは数知れず、朝起きてくる同居人には呆れられていたに違いない。自室にも本を積み上げており、ルームメイトのスペースを徐々に侵略していた。申し訳ない。しかしながら、私が疲労困憊で帰宅しても、論文が行き詰まって悩んでいても、まるで実家のような安らぎと刺激的で楽しい時間を与えてくれたシェアハウスの住人たちには感謝の気持ちが溢れて止まらない。

 最後に、「相棒」に特別の感謝の気持ちを添えたい。学部から直接進学した学生と異なり、彼は私と同様に時間をかけて学部生活を過ごし、社会人経験を経て院進したため、大学院ゼミにおいて唯一私と同い年の学生であった。研究について右も左もわからないまま院進した私は毎日不安で堪らなかったが、相棒のお陰で今日まで走り続けることができた。お互いの前職の話で盛り上がったり、喫茶店で夜が明けるまで課題をやったり、時事ネタについてああでもないこうでもないと話し合ったりした毎日が本当に楽しかった。ありがとう。

 無事に製本が完了し、コロナウイルス感染拡大が収まったあかつきには、その内1冊を実家の父の仏壇に供えたい。そして、この2年間で学んだことを
胸に刻み、社会に貢献できる人材になるべく日々精進する。


2021年1月 最愛の父に思いを馳せつつ

木 暮 美 季

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