言葉の力、音楽の力

2年生のゼミでは、はじめに本を読むことをしている。

本を読むようになってほしいと思うのがいちばんだけれど、心を落ち着かせて、想像力をほどいて、ゼミの時間に臨んでほしい。そう思ってはじめたのだが、さて効果はどうか。

せいぜい15分くらいだから、たいして読めはしない。ぼくはずっとアイドルとして敬してきた人の本を再読しているわけだけれど、改めて気づかされることは少なくない。あ、記憶違いなのか、明らかに間違っている箇所(たとえば、アメリカ最大の指揮者バーンスタインをボストン響にいたと言っていたりする*)を発見したりもするのですが、それでも尊敬する気持ちは変わらない(むろん、盲目的に信じると言うのではなく、たくさんのことを教えられたし、学んだのだ)。

ぼくが、ずっとアイドルだった彼と同じことはとてもできないことは自明のことだけれど、それでも(怠け者で、何もなし得なかったことは、これからもたいして変わらないだろう)自分が、今さらながら無用の存在のような気がする時がある。それが、自分はいったいどうなるのだろう、という疑念を抱かざるを得ないような気にさせる時があるのだね。

そんな話しを、ちょっと気を緩めて(迂闊にも)話してしまった時に、直接に社会を変えるルールづくりをするよりも、文学や音楽の力の方が長い目で見たらよほど効くと思いますよと、Yセンセイは言うのだ。

つまり、直接的に働きかけるものではないものの持つ力。それに導かれて、自身の生活や社会のありように思いを馳せることで、能動的な変化が生じるはず、ということでしょうね(ま、励まそうとしてくれたわけです)。

それにしても、僕自身に何ができるかは相変わらず懐疑的にならざるを得ないけれど、身近にいる人たちのうちのたった一人にでも、何らかのプラスになるようなことの契機、そのまたきっかけにでもなれたのならそれでいいのかも、という気になってきた(その時その場の空間の力もあったかもしれません)。

その方法や実現する場面(の可能性)は、様々あるはずだけれど、そうしたことができたらいい、とほんとうに思うのです。もちろん、思うだけでは不足ですね。

それにしても、恥ずかしい限りだけれど、まだ学生だった頃**と今のありようがほとんど変わっていないことに気づいて、しばし呆然とするのだ。

* 校正ミス?
** あることをきっかけに、その頃に書いたものを読み返した。

(F)

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