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『名画の言い分』木村泰司

ミケランジェロの彫刻やモネの絵画を見たとき、私達は何を思うか。

実物から圧倒的なパワーは伝わってくるが、おそらく多くの人がもつ印象は、「へえー」とか、「何かわからないけどすごいなあ」程度の感想ではないか。しかしそれは感性が不足しているのではなく、絵画の見方を知らないだけだ。つまり美術史を知らないのだ。

ではどうやって見ればよいのか?と思う人にとって本書を強くオススメする。我々日本人は、美術品は感性で好きなように鑑賞すればいいと思っている傾向がある。これは話をすると長いので割愛。しかし本書は「美術は見るものではなく読むもの」と断言している。筆者はカリフォルニア大学バークレー校にて美術史学士号を修得した西洋美術史家だ。

本書によると、美術は理性的であることに重点を置いた西洋文明の産物だという。特に近代以前の西洋美術は、なんとなくの「好き」や「感動する」といった、感性レベルの鑑賞は見たことにならない。まずは西洋美術を生んだ政治/経済/宗教の歴史を理解し、作品を正しく見ようではないかと語る。好きだ嫌いだの話ができるように周知された印象派も、フランス革命と産業革命の激動の時代の中、既成観念を崩す風潮から生まれた。そのような背景から印象派を語れるようになったのも18世紀以降という事だ。ちなみに当時、ルノワールは騎兵隊だしドガは鉄砲隊に入隊していた。

目からウロコ的な例を紹介しよう。ギリシア時代の彫刻は、なぜほとんどが裸の男性なのか?これは西洋の美の原点が、男性の美だからである。現在ではありえない程の完璧な男尊女卑の時代だ。そのため古代ギリシアでは、男性が美しくある事がとても重要だった。そんな小ネタが本書では満載であり、読み進めていていちいち衝撃を受けざるを得ない。さらには古代オリンピックでは神の姿(=裸)で競技が行われていたという。彼等は自らの肉体をオリーブオイルでテカテカに光らせ、より美しく魅せていたそうだ。

他にもトリビアが面白い。美術史にドイツ作品があまり登場しないのは、ドイツ人の多くが、絵画や彫刻に神を表すのを禁止したプロテスタントだからが理由である。たしかに西洋美術の発展には宗教との関わりが不可欠だった。世界一の美女として名高いモナ・リザも、美術史の中では美女として解釈された事はなく「テクニック」の美しさが評価されている。自然界には輪郭が存在しないという考えから、画家が指の腹を使い濃淡で描く『スフマート』や、遠くをぼかす『空気遠近法』など技術の美しさが語られてきた。

第5章の天使の話は興味深い。宗教画にはよく天使が登場するが、第1級ランクであるセラフィムなどは頭だけで、そのまま翼がはえる。羽の数は画家により2枚、4枚、6枚とさまざまだが、上級天使は「見えない」ことが大事なので、多くの場合はそんな人間とかけはなれた(不気味な)姿で登場する。この意味がわからないと、何故ここに顔だけで翼があるの?となる。ちなみに「天使」と「キューピッド」も全く違う。その違いは本書で確かめてほしい。

このようなトリビアによって、美術史をスイスイ吸収できるので心地がよい。筆者は冒頭で「2400年の美術史を一冊に網羅した企画」と言っているが、大げさな表現ではないだろう。私も美術史を学んだが、単なる年号と絵画の名前の勉強ばかりで、掘り下げた見方はしなかった。本書のおかげで、断片的だった美術の知識と西洋の歴史/政治/経済/宗教が結びついた。この楽しさと爽快感は他の美術書では味わえない。口絵には106点の芸術作品が掲載されているが、本書を読んだ後に再び戻れば、今までとは全く違う印象になっているはずだ。

本書は美術に興味がある人だけではなく、世界史が好きな人にも特にオススメしたい。章ごとに話は完結しているので、どこからでも気軽に読める。今後は筆者にぜひ20世紀以降の現代アートについても書いていただきたい。

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