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読書の日記(9/13-19)

『Number』、見上げる人々/ラウンジリザーズ、ジョン・ルーリー/日記の5周年/ホーローポットの戸惑い/ストレッチしながら「超相対性理論」/河野多恵子『不意の声』/Notionと部屋の整頓/WorkFlowy便利かも/ウェブサイトリニューアル本番の宴/大谷翔平の時系列、校閲の妙/優くん、野方、SWEET HOME SALAD/今日から大人気店/税理士さんがやってくる/多摩川散歩、いな暮らし、こんな定食にしたい/「ひとつのお店が持てる影響力なんて小さい。本当にそうだろうか。」「自分たちのお店が、仕事が、だれかの日常を豊かにしている。」/ソファの修理、張地の裏の世界/『アメリカン・ベースボール革命』、生き残るのはパラノイド/続くことの恐怖/久しぶりの水準の忙しさで大歓喜

9月13日(月) 

黄色いゴム紐を手渡され、これを胸の前で引っ張るように言われる。素手では生じない可動の仕方というのが、こんなにシンプルな道具で呼び起こされるものだなと感心する。それ以上に感心するのは、お尻の下にタオルを敷くであるとか、交差させた手を肩に置くであるとか、そういう微細な変化で動き方が劇的に変わることで、今日のリハビリでは左お尻の下に左手を差し込んで置いた状態で首のストレッチをすることで、手を外してやってみたら全然違う伸び方だった、この手は何を起こしているんですかと理学療法士の方に尋ねると左肩を固定させているらしい、手を外すと一緒に左肩も動いてしまうからうまく伸ばすことができない。
家に帰りながら畑と住宅に囲まれた道を歩いていると、向かいから車椅子のおじいちゃんとそれを押すおばあちゃんが歩いてきて、おばあちゃんが「行かないって言ってんだろ! うっさいな!」と喉から絞り出すような大きな声で怒鳴った。なんで人間の一生を生きるというのは苦しかったり余計なことだらけだったりするんだろうなと思ったのは、その道の途中に窓際にいつも猫がいる家があるからかもしれない。でもそれは猫の生をいたずらに単純化しているかもしれない、猫だってめっちゃ怒ったりしそうだし。

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