気分変調性とともに2022夏

休職三か月目に突入した。

流石に焦ってくるというか。
まぁ焦り自体は休職一週間目くらいからは常にあるんだけども

最初に自分で「ダメダこりゃ」と思い1日仕事を休んだ。
次の日も「ちょっとシャレになんねぇや」と仕事を休んでクリニックに行った。

予約せずに病院いくのは初めてだったけどあっさり診察してくれた。
看護師のおばちゃんは僕の様子をみるとコイツァ‥あんた重症だぜ‥と心配してくれた。
先生は一ヶ月休め!診断書書くぞ!となって休職となった。

まともに電話してコミュニケーションがとれる状態ではないと判断したのでメールを送った。
一月休ませてくださーい。

あっさりと休職を認めてくれた。(まぁ認めてくれなくても働ける状態じゃないわけだが)

すぐ傷病手当の手配してくれて、そこはよかったかもしれない。

一月終わり次第就労移行のスタッフは時短での勤務の準備を整えてくれたが
ドクターから待てがかかった。

この待ては英断だったと思う。
一月目は疲れが出きれてない最高にハイッてやつだ!だったのだが
二か月目はとにかく寝た、過眠気味にぐーぐー寝た。逆に寝すぎると元気でないぞ、ときくけどケダルくとも体力は回復していった。
三か月目は、もう一月休んだほうがいいな、と自分で思った。医者からは頓服のクスリもっとカジュアルに使ってね、と言われた。

で、今、なんですけど、とりあえず一月は休もう(7月20日くらいまで)と思っている。
そっから先は復帰するか否か、僕が考えるべきことだと思う。
医師に不満があるとしたらゆっくり経過をみるのも大切だけど最初に三か月休養を要する!ってしてほしかったかなぁ‥。

蜘蛛の糸


休職については就労移行のスタッフが動いてくれた。
なんでも会社が俺に対する配慮?対応?が完璧らしい。
一番ひどいパターンだとそのままクビ。
別のパターンだと傷病手当の手続きを渋るもしくはしない。
他のパターンは戻る場所の確保をしていない。

僕の勤めていた会社は
即日傷病手当の手配をしてくれた。
時短で復帰する居場所を作ってくれた。

これだけやってもらって戻らないのはアンタにも問題ある!という言い方もできるかもしれへんで!といわれた。

目の前に蜘蛛の糸は下がっている。掴んで上るかは俺の判断しだい。

芥川龍之介が書いた蜘蛛の糸は極楽につながっている蜘蛛の糸を醜く奪い合う話である。
ほんといろんな解釈ができる話で、お釈迦様はこうなるのを解ってやったのか、それとも主人公を試したのか

そもそも糸は本当に極楽につながっている糸だったのだろうか?

まぁ芥川龍之介の意図を考えるのはこのへんにしといて
糸をつかむかつかまないかは自分次第ですよ、と言われても、正直信用しきれない。

ぼんやりとぼやかして書いていこう、なんでそんなに信用できないか

まず先輩が辞めた


僕の二週間前に正社員として入社した先輩が6月くらいに辞めた。
清潔感があって小回りなききそうな40代だったが結構な癖のある人だった。
残業代がでねぇ!を言質に辞めたけど嫌われて仕事干されたのでは?と思うことがはしばし。

僕のやってる作業は部品の部品の部品を作るみたいな仕事で20個作るにはそこまで大変ではない、でも100個作るってなると話が変わってくる、そんな雰囲気の仕事だった。
先輩が一月くらい指揮をとってたがいつのまにか降ろされて相方のおばちゃんと二人チームでリーダーを決めないまま仕事をとりくむことになる。

ああしろーこうしろーためこむなー
おばちゃんとは結構いろいろあったけどこういう人とのコミニケーションの勉強にはなったかもしれない。

最終的にうまくいければね、成功体験として経験値がピロピロと入る。

次に後輩が辞めた


俺よりずっと若い後輩が入ってきた。ゆとり世代の詳しい定義は知らないけどゆとりだった。
まぁでも若いころに足りないことのない人なんていないわけじゃん?今日絞られたな、って日には彼にジュースをおごったりした。

仕事の方はぐるぐるとやり方が変わった。工場っていうのはそういうものだし思ったよりも歴史の浅い試行錯誤のある仕事だった。
相談して検証すべきことは多かったし不良品やクレームもでたりして頭を捻って頑張った。これはパートのやる仕事でいいのだろうか

いろいろ相談しろ、と言われるがそれがとてもストレスだった。
11月、誕生日くらいに俺の鬱は一山くるのだけどなかなか治りきらなかった。
生産計画もこっちに丸投げはもう勘弁してほしい(少しは管理してほしい)と就労移行越しに頼んだら
お前が勝手に責任を感じているだけだ、いい加減にしろと怒鳴られた。

これで解決したつもりなんだから、すごいよね

年末は忙しかった。

製造業あるあるらしい、
年末年始は流通がストップする→だもんで先回りして製品をためておきたい→流通がパンクする→届かないことを想定してはやめにモノだけでもつくっておきたい。

それってどっちみち流通パンクするじゃないですか、ちょっとやめてもらっていいですかね()という運送屋の悲鳴が聞こえてきそうだ。
部品の部品を作っているので特に先に先に動かなきゃは大きい。

これちょっと限界っすわ!これ以上増えたらそれはそれで知らないで休んでよかですか?とおばちゃんに相談すると
余暇余暇!と帰ってきた。
なんとか激動の年末を終えて年始はそうでもないという噂を聞いてなんとかほっとした。

年を明けると
まともにチームも仕上がってきたようだな!
なるはやで作れ(迫真)ですまんかった、まとめてオーダーするからそれで生産計画をつくってくれ!と指示が入った。

半年分の量の注文、いつも通りの仕事でやると4か月はかかると試算をだした。
3か月でやって!と言われて半年分のオーダーを3で割った計画表を作っていただいた。

話、聞いてたのか?
できない仕事をできる化してがんばった。残業してもよかったけど残業代はでないのでシャアみたく3倍速く動いて仕事した

ゆとりくん、会社を辞めちゃう、まぁ彼はもう少しフラフラしたいみたいなとこもあるみたいな面もあったかもだけど
これだけ立て続けに辞めると、やばくない?

仕事は半年納品は一部を除いてなんとかなった。
社長になんの根拠にこれができると思ったんですか?と聞いたら
年末繁忙期のペースでやれば終わる見込みだったといわれた。
あの‥正直繁忙期の2倍は忙しく二人とも動いてますけども

?ほんとに算数で数字とむきあいましたか?

半年ぶんの仕事が終わると同じ量の仕事量をまた任された。特に相談も会議もなかった。

俺は難しく考えすぎている、んだってさ。

なんだかね、一番下の人からやめてくみたいなところがあって、次の一番下の人は俺なのかな?
そんな感じがしたら、

限界がきた

あなたは何になりたい?


ずっと会社と面談していたスタッフ、このタイミングで辞められると支援を受けることができない。
けど、辞めてしまってもいいかもしれない。と云われた。

他のスタッフにはアナタは何になりたいか?と聞かれた。
何ってどういうことなんだ。
何かになるには長く働くことが大事。なにになりたいの
言葉につまってしまった。

今は、心の平和が大事で、もしかして短歌やブログを書くだけの表現をする余裕こそが一番大事なのかもしれない。多分、そういうことをしないと俺、頭おかしくなっちゃう、
ま、仕事しながらだとそれは不可能だったけど。

正直あまり刺さらないかったけど彼女はこの言葉を刺そうとしていた。
何かになるには働きつづけなければいけない。

若いころ、違うな、幼いころから思っていた。自分は何物にもなれやしないと。

プロ野球選手にもモデルにも歌手にも役者にもエンジニアにも社長にも父親にも誰かの彼氏にも

とにかく何物にもなれやしないという漠然とした確信があった。

上流階級の集団に行くとお上品な彼らは言葉にしなかったが一緒にいて違和感を感じた。

日払いバイトでイベント会場の設営をしている時は妙にしっくりきた。自分が中央大通ってるというと住む世界が違うといわれた。

とにかく、どこにいても違和感があった。どこにいてもここはお前の居場所じゃないよ、と言われているようで

普通の人が普通にやっていることが自分にはできるようなきがしなかった。
そこをみてお前は苦労をしらない、と言われることばかりだった。

やっていて楽しいことはいっぱいあった。でもいつも後ろめたかった。

何になりたい?と言われて、そうだな、ごめんさない、何者にもなれるきがしない。だからその言葉は、刺さらない

気分変調症という症状とそれを患う人の性格の特徴をみた。
まさにこの感じ、気分変調性なんすよね。

相変わらず僕は、気分変調性障害とともに生きているのだな‥と思った。

2022/6/27富士さんたろうが記す

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