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【イベントレポート】メンタルヘルス講座「表現とジェンダー平等」前編

前書き


私は月に一度メンタルヘルス講座というものを吉祥寺のライブハウス、D A Y D R E A Mで開いている。長い間、自分、そして自分の周囲へのメンタルヘルスのケア、そしてその知識が必要だと感じていたが、2022年初め、「音楽スタジオやライブハウスでメンタルヘルスについての会を持ちたい」というような趣旨のツイートを見たことをきっかけに本格的にその場を設けることになった。ツイートしたのは兼ねてより親交のあった、音楽学校講師で産業カウンセラーである手島将彦さん。そこに呼応する形で企画は始まった。
私自身はメンタルヘルスの専門家ではなく、一学び手であるにすぎないが、手島さんの話を引き出す聞き手として、一緒に会の中心でマイクをもち、参加者のみなさんに囲まれている。
参加者さんはいつも大体10名ほどで、気になるテーマの回だけきてくださる方も、毎回きてくださる方もいる。男女比は少し男性が多いくらい、年齢も10代から60代まで様々だ。

1年を通して、表現者向けに開いてきたが、ジャンルを問わずアーティスト、ミュージシャン、そしてそういう人たちの周りで働くライター、技術者、ライブハウスブッカー、教師、またその家族なども多様な人々が参加する場になっている。
会の構成は前半と後半に分かれており、前半はその日のテーマに関して私が雑談を手島さんに投げかけ、手島さんがそれを心理学的、または社会学的に解体してくれるような具合だ。後半は参加者さんからの質問や、意見を中心に座談会形式で対話を進めていく。(参加者が手を挙げたくない場合は休憩時間に私に耳打ちしてください、とお願いしている。)

この日のフライヤー。ゲストにアクタートレイナーの森本ひかるさん。


●メンタルヘルスを考える上での前提


ここで、メンタルヘルスの知識の前提を共有しておきたい。
メンタルヘルスの問題は
①個人の身体的な状況 
②社会の仕組みにおける状況 
のいずれかによって発生する場合が多いとされている。
いずれにしても、自分一人のコントロールで解決できることではない場合がほとんどですよ、という話を念頭に、会は進んでいく。

白状しておくと、メンタルヘルスの企画を立てるにあたって、企画の当初は自分には当事者意識が薄く、企画をすることで、「そういう話題が好きな人」という視線を受ける抵抗感が強かったのも事実だ。そこで浮き彫りになったのは自分自身のうつ病や社会問題を提議する人への無意識の偏見だ。また、「当事者でないのにどうしてそこまで?」という友人からの疑問にもうまくは答えられなかった。でももし、初回のメンタルヘルス講座から1年経った今、同じ質問に答えるのならこう言うだろう。「わたしは当事者の一人で、わたし自身のために。そしてまだそれに気づいていないあなたのために」。
“あなた”とはわたしの場合多くが身近な友人である。または深夜のSNSで言語化できない心情をなんとか吐露し続け、実際に会う時には平気な顔をしている知人のことでもある。問題なのはあなたが悩みや悲しみに対処できないことではなく、その悩みや悲しみが社会で常態化されているのに、個人の問題と矮小化されてしまい、解決されずに放置されていることである。つまり②の、社会の仕組みにおける状況があなたを悩ませ、悲しませている。わたしはこの社会の仕組みとそれを維持しようとするなんらかの力にいつも怒りを覚えている。というか、この事実を知ってから実際、本当にムカついてるんだぜ!!

外から見ると実際行われているより堅苦しい会だと捉えられるかもしれないが、わたしが手島さんに投げかける話題は「こういう奴がいた」とか「このツイートにイラッとした」とか基本的に愚痴ベースである(笑)なので会場は笑いが起こり、どんよりとした空気にはなりにくい。今やわたしにとってもある意味セラピーの場であり、そして学びの多い時間であることは間違いない。


イベントレポート

2022年11月24日、7回目の開催として行われた「メンタルヘルス講座」今回のテーマは「表現とジェンダー平等」。先に述べたような、うつ病や社会問題への問題提議に対する自分自身の偏見はこれまでの講座の開催とそれに伴う自学(たいていが読書)によってほとんどなくなったと言えるが、ジェンダーについて取り扱うハードルは高かった。なぜなら、ネット空間が世論の大きな割合を占めているような錯覚の中で暮らしている人々にとって、フェミニズムを含む「ジェンダー平等」というワードは根本的な勘違い、知識不足からくる炎上ネタの一つであり、現実の場にはいないとさえされることもあるからだ。
なので現実社会で、知らない人ならまだしも男性の友人たちに「面倒な女、うるさい女」と苦笑されるのは耐えられない。または苦笑されているであろうことを想像するのが耐えられない、そう思っており、ジェンダーについては取り扱いテーマではあったものの、勇気がなかなか出なかった。今思えばくだらないが、そう思ってしまうほど、ライブハウスとは男性社会なのである。
そんな中、8月に公表された「表現の現場調査」における「表現の現場ジェンダーバランス白書2022」を目にし、その男女比に恐ろしく衝撃を受けたと同時に、調査団の名簿の中に旧友“森本ひかる”の名前を目にしたことで、わたし自身が劇的に勇気づけられ、本人を呼んでの開催という運びになった。(これがエンパワメントということですね!!と思いました笑)
この回を開催する前段階として、森本とは4時間のウェブミーティングと2時間の顔合わせを行なっており、その時間の多くが「ジェンダー平等という主張が男性へのヘイトと受け取られないような宣伝、講座の構成」についてであったことはここに記しておきたい。


今回のイベントレポートは、会で行われた事前の知識、前提の共有を前半に記し、追って会場での対話の様子を書き起こしていくものである。


ジェンダー平等を考える上での前提

(※あくまで簡易的な説明です)

●ジェンダーとは
生物学的な性別(sex)に対して、社会的・文化的に作られ、共有されている性別に関するルールのこと。

●ジェンダー不平等とは
ジェンダーのせいで性のあり方が「男性」「女性」に分けられ、全ての人がそのルールに従わなければいけない状況。

女性への弊害:女性が決定権のある役職に就きにくい、就けない。女性の見た目を性的に「モノ化」する。性暴力の蔓延や、女性の一人の人間としての意志が社会的、日常的に軽んじられることにつながる。

男性への弊害:強くあり続けなければいけない、他人に自分の弱さを曝け出せない、無防備に人を愛することができない(支配しようとしてしまう)、強い男性像から逃れられず、精神的に追い詰められやすい。鬱の発症率は女性が高いが、自殺率は男性の方が強い。(男性の受診率が低いといえる。)

性的マイノリティ:男女に課せられるジェンダーに加えて、男女に当てはまらない、見えない存在として無視、嫌悪、蔑視の対象になりやすい。

●ジェンダー平等が達成されるとどうなるのか
「男女」のジェンダーに関わらず自分の思う自分らしさのもと、 全ての人が自らの意志で機会をえることができる

●大切なのは事実を事実と受け入れることこのような話を理解する上で、大切なのは、「事実を事実として受け入れること」。男性、女性だけでない性を持った人もいるし、障害を持った人もいる。


表現の現場におけるジェンダーバランスをもとに考える。


2022年8月に報告された「表現の現場調査」のジェンダーバランスを見ていく。https://www.hyogen-genba.com/gender

例えば音楽大学において、“学ぶ”立場である学生の男女比はおよそ3:7で女性が圧倒的に多いのにも関わらず同じく音楽大学で“選ぶ”立場、権力を持つ立場である教授職には6:4と男性の比率が多く、逆転している。また音楽大学の理事長、学長はどちらも9割以上が男性である。
加えて音楽(クラシック)の8割以上の審査員が男性と、音楽分野だけ見ても、選ぶ側と選ばれる側の関係性を見た場合、選ぶ側に圧倒的に男性が多いということがわかる。音楽だけではなく調査された美術、演劇、文学など全ての分野で選ぶ側にいる大多数は男性だ。(ぜひ「ジェンダーバランス白書」をご覧ください)

この数字がグラフ化されたものの視覚的衝撃は相当である。今回の調査ではライブハウスなどポップスの音楽シーンは入ってないが、ライブハウスで考えてみるとどうだろうか。男女がどれくらいの割合で出演しており、長年継続しているのは男女どちらが多いだろうか。ネット記事や雑誌のコラムを執筆する音楽評論家にどれくらい女性の名前が思い浮かぶだろうか?

これを男女の生物学的違い、で論理的に説明できるものだろうか、と私は長い間疑問に思ってきた。あまりに多くの機会で男女の2元論、本質主義的な言説がまことしやかに語られている。例えば、「男性は出世志向」「女性はほどほどで満足する」などだ。

しかし男性脳、女性脳などという脳のタイプは存在しないことが近年の研究でも明らかになっている。(参考リンク)

性別による性格の差は平均すると少なからずあるだろうが、それは男性の中でも、女性の中でもそもそもある差である。ジェンダーバランス白書は女性が権力を持つ側、選ぶ側にキャリアアップしにくい、または活動を継続しにくい、明確なシステム上の欠陥を指している。

また、「表現」というものは表現者自身の価値観によって生まれ、見る人の価値観によって評価されるものでもある。見る人(特に、評価する側)がなんらかの属性に偏っているということはそのまま、世に出ている「表現」が多様性を失いやすく、ある特定の「表現」しか受け入れられないということにつながる。

ここまでは前提、知識の共有であったが、会場では徐々に、例え話や個人の体験に繋がり、対話が生まれ出すのがこのメンタルヘルス講座の特徴だ。
後編ではイベントの会話の書き起こしを掲載する。


左から、手島さん、私(フユコ)、森本




次回開催

3/14(火)表現者のための メンタルヘルス講座 vol.10 「心理学からみるメンタルヘルス セルフラブ・セルフケア」 20:00~22:00 入場¥500(予約不要)  話し手 手島将彦(音楽学校講師/産業カウンセラー/ライター/保育士) 企画・聞き手 フユコ(デイドリーム吉祥寺/ミュージシャン)


デイドリーム吉祥寺
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-1-4-6F
京王井の頭 / JR線吉祥寺駅南口(公園口)を出てすぐのバス通りを右へ、天下寿司6階(エレベーター5階)
0422-24-8281
http://www.studiopenta.net/daydream/index.html


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