見出し画像

子供の時を思い出す「伊勢佐木町ブルース」徳永英明、サザンオールスターズ

私は子供の頃、7人家族でした。
祖父祖母、父母、そして私、妹弟。
今考えれば、大家族だったと思います。
その当時、家にはテレビは1台しかなくて、チャンネルの主導者は祖父
祖父は、「虐待じゃない」と思うくらいの厳しい人で、
またその話は後日書きたいと思っているのですが、、

祖父の見たい番組を、興味もないのに見せられる、という日々でした。
祖父は青江三奈という歌手のファンで、私はやたら青江三奈をテレビで見たのを覚えています。
「なんかエロいおばちゃんやな」というのがその当時の私の印象なのですが、
「伊勢佐木町ブルース」は私の記憶に根強く残っていて、
今でも、なぜか頭の中によく流れてくるのです。

徳永英明さんサザンオールスターズ「伊勢佐木町ブルース」をどうぞ。

青江三奈さんは59才で2000年にすい臓がんで亡くなっています。

1998年の秋に背中の激痛で受診して膵臓癌と診断されたが[3]、病を隠して仕事をキャンセルせずに歌い続けた。1999年1月23日に渋谷公会堂で催したコンサートを最後に歌手活動を停止し、1月下旬に都内の病院へ入院し、膵炎による加療と発表された。最後のコンサート当日に痛みを耐えながら熱唱した公演の写真が、追悼の特集の際に公開されることがある。
1999年2月5日に9時間を要した手術が成功し、約3か月の入院生活を経て同年4月24日に退院した。退院後は抗癌剤の点滴のために通院しながら美容院へ通うなど歌手活動の復帰を図るが、2000年2月に体調が悪化して再入院して膵臓癌の転移が発覚する。その後は入退院を繰り返したが、2000年7月2日午後11時40分頃に東京都港区の北里研究所病院で膵臓癌により59歳で死去[1]。葬儀と告別式で親友の水前寺清子[注釈 1]が歌手仲間の代表として弔辞を読んだ。
「伊勢佐木町ブルース」の歌碑が神奈川県横浜市中区のイセザキモールに建立さた。

青江三奈を知らない方は本物をどうぞ。

「伊勢佐木町ブルース」はわたしにとっては、祖父の思い出の曲であり、
そして歌いたい曲です。
絶対、日本の名曲のひとつ。(勝手に私が思っているだけですが)
機会があれば、いつかどこかで、私の「伊勢佐木町ブルース」を披露したいと思っています。

これ、完全に自己満足になってますね。
でも、たぶんこれからも自己満足の音楽を紹介していくと思いますので、よろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?