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おぼろ月に包んで


夜空を見上げると、あまりに月がぼやけて見えたので、思わずシパシパする目をこすった。
月の輪郭は現れない。
もう一度こすって、どうやら今夜はおぼろ月なのだと気がついた。
オレと同じように、ぼんやりしてやがる。

最初は、この八の字に垂れた眉毛のせいだと思っていた。
こんな眉毛のせいで、オレは気弱で意思薄弱なやつに思われるのだ。
しかしそれが30年も続けば、どうやらこの眉1つに責任を負わせるのは酷なような気がしてきた。
眉毛だけじゃない、そいつはオレ全部のせいなのだ。

ことを荒立てて面倒な想いをするのは嫌いだし、オレが少し大人になれば済むのならそれでいいじゃないか。
そう思って粛々と勤めた会社を、オレは今日クビになった。
不況の煽りだという。
どうしても口減らしが必要なのだ。

「すまない…すまないっ…君はこの30年間、文句一つ言わず、勤めてくれたのに…」

社長は、オレの手を握り、頭を下げながら泣いた。
そいつは、違うぜ。そいつは陶酔ってもんだ。
『断腸の想いで、多くの社員を守るために決断する社長』ってやつに酔っちゃいないか?

だってよ、社長さん、
オレは今日まで「文句一つ言わなかった」からクビになるんだ。



これが最後だ、胸の内をそのまま全部ぶちまけてやろうかと思った。
「自分に酔っ払って正体をなくすんじゃねぇ!ピシッと『お前はクビだ』と言いやがれ!!」と。

だけどオレは、社長の肩に遠慮がちに手を置いた。

「わかってます。やだなぁ、頭をあげてくださいよ」


そうして、オレは今日、輪郭をはっきりさせないまま、この会社を去る。
デスクはすぐに片付いた。引き継ぐ仕事など、もとよりほとんどなかったのだ。

「こんな月夜は、ほろ酔いだな…」

見上げたまま、呟く。
冷蔵庫に酒は残っていただろうか。
じきに、あの社長の顔ももやがかかって見えなくなるだろう。
あいつのふやけた顔が、ハッキリするほどの真実をオレは教えてやらなかったんだから。

いいきみだ。
明日からだって、好きに生きてやるさ。

見上げたおぼろ月は、欠けてはいない。


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