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幻のいちご大福

 人生観をくつがえすお菓子というのが世の中には存在して、おれの人生の中にももちろんある。おれはそいつに、広島の呉で出会った。

 だいたい15年くらいまえのこと、母と二人で広島に行った。そこで、当時広島に住んでいた方に、「苺大福はお好きですか」と聞かれた。答えにつまった。正直に言って、好きではなかった。大福は好きだ、愛してると言ってもいい。苺も好きだ、あいつはヤバい、たいていの物が美味しくなる。だけど、苺大福はだめだ。だめなんだ!!!

 見た目はいい。白くやわらかな餅につつまれた、濃い小豆色の餡の中に鎮座する赤い苺はとにかく可愛らしい。けれど、いざ食べてみると、苺は違和感以外の何物でもない。まず触感が違いすぎる。大福のやわらかさに対して、苺はどうにも硬すぎる。さらに、餡子の強い甘さが苺のほのかな甘みを殺してしまい、酸味ばかりが際立つ。ということがわかっているのに、あの見た目の可愛さに何度かだまされ、毎回渋い思いをすることになった。

 前歯がやわい餅を突き破り、餡子を通過し、甘さが広がった瞬間、前歯にコツンと立ちはだかる苺、と同時に、口いっぱいに噴射される酸っぱい汁。あの感じを味わうたびに、「あ~……。苺に餡子はだめなんよな……。見た目は可愛いのに……。とにかく苺に甘い茶色を合わそうと思ったら、それはチョコじゃないと合わんのよ……」と痛感しながら、まぁでも勿体ないのでむしゃむしゃ食べ尽くすお菓子。それがおれにとっての苺大福だった。(ちなみに苺を飛び出させている苺大福は論外だ。あいつは見た目しか考えていないし、苺の違和感をごまかすことしか考えていない。食べる方で分離して食べてくれと暗に促しているようなものだ。おれはあのタイプの苺大福には絶対に金を払わない)

 だから彼女に「苺大福はお好きですか」と聞かれたときに、そんな顔をしていたのだろう。彼女は続けて言った。「わたしもそんなに美味しいと思わなかったんですけど、ここのは美味しいんですよ。ちょっと工夫されていてね。苺がシャンパンに漬けてあるんです。だいたい午前中に売り切れちゃうし、賞味期限が当日なので、東京へ持って帰るお土産には適していないのですが」

 そこからあとは、なにせ昔のことなので、断片的にしか覚えていない。海風をあびながら大きな橋を渡って、風景がひらけて、広いなあと思ってうきうきした。天気のいい日だった。橋を渡って少し歩いて、右側にガラス張りの和菓子屋さんがあった。ガラスには、大きめの短冊状の白い紙が何枚か貼ってあり、墨の筆で「栗ようかん」とか、とにかく苺大福以外のお菓子の名前が書いてあった。午前中に売り切れちゃうらしいのに、苺大福を全然推してないんだなぁ、と思った。店に入ると、カウンターがガラスのショーケースになっていて、いろいろな和菓子が並べられていた。苺大福はショーケースの上に30個くらい並べられていた。白い餅に餡子の色がすこし透けていて、繊細さを感じさせた。そこでふたつずつ買って、ホテルに持ち帰った。お茶をいれたかどうかは忘れてしまった。

 苺大福を手でつまんだとき、やわらかみのちょうどよさを感じた。そもそもわたしは硬い系のお菓子が好きなので、やわらかすぎるものを好まないのだが、手でつまんだだけで脆くも潰れて流れていきそうな大福はあまり美味しく感じられない。あの流れ落ちていきそうなタイプの大福はどういうことなのだろう、水分の多さなのだろうか? ともあれこの店の苺大福は、やわらかすぎず、かといって豆大福のような硬さではなく、ほんの少しのやわらかさでもって、しっかりとした実存を感じさせた。

 そしてそのままかじったときの、あの感動は絶対に忘れられない。おれはそれまでの経験から、あの苺の前歯コツン感をなんとなく予想したまま食べたのだが、前歯が大福にめりこんでいくスピードが、餅、餡子、いちご、でまったく変わらなかったのである!!!! えっ沈みこんだ!!! なに? なにが起きているの今????!!!! しかもしかも、あの口内に広がるはずの酸味が!!! 一切感じられなかった!!!!!!!!!!!!!! なんだこの甘みの一体感は!!!!!!! ぜんぶがちょうどE-!!!! そのままムシャームシャーと噛みしめると、あっ、これ、苺が、苺の処理が決定的に違う、苺甘い、しかし甘すぎない、餡子と餅と、一体になって甘い、しかもぜんぶが甘すぎない、なにこれなにこれ超美味しいんですけど!!!!!!!!!! とムシャームシャーと噛みしめ続け、えっこれあと一口で終わっちゃう、なにこの美味しいもの、あと一口で終わっちゃうの、あーもうあのカウンターにある苺大福全部買い占めてくればよかったーーー!!!!!!!!! という凶暴な欲望に駆られるほど美味しく、なんなんだこいつは、もう一口も食べちゃうぞ、と口に放り込んだところ、アッ、これ……うま………なにこれうま……おいしすぎる……おいしい……おいし……と語彙が崩壊してしまうほど美味しかった。

 あまりに美味しかったので、東京で待つ兄にも食べさせてやりたいと思った。兄はわたしと比較にならないほどのいちご好きであり、わたしとは違ってやわらか好きであり、おそらくは同じくらいに餅好き大福好きであり、同じように苺大福否定派であった。しかし賞味期限は本日限りである。次の日の大福の悲しい変化を知らないわれわれではない。母と二人で、しかたないね、と言いあって二つ目を食べた。変わらず美味しかった、もっと買ってくればよかったとほんとうに思った。

 東京に戻ったあと、兄に「実物はないんだけど」と断りをいれて、こーーーーーーんな美味しい苺大福を食べたんだ、ということを身振り手振りつきでめちゃめちゃに描写した。「前歯がこう、スゥッ、と! 何の障害もなくめりこんで!! シャンパンに漬けてあるおかげで苺の最初の膜破裂が起きないのよ餡子と餅と同じやわらかさで一切の違和感がないの!!」「で、その実物がないんかよ!」「いやー買ってきたかったんだけど賞味期限が」みたいなやりとりを、たぶん小一時間はした。たしか。これがいわゆる土産話ってやつだ、実物の土産はないけれど。と思っていた。

 そうして何年か過ぎ、家族の話題に苺大福がのぼった。「あの苺大福は美味しかった、また行きたいな、お土産買ってこれなくてごめんね」と兄に言ったら、兄は驚いた顔をして「え、おれ、食べたよ」と言った。ぼくらは黙った。兄はめちゃくちゃ記憶力の確かな男だ、少なくともおれよりは。

 一瞬絶句したあと、おれと母は一生懸命「いや、おまえは食べていないよ」と静かに説得を試みた。「え? 食べたよ。あの、いちごの違和感がないやつでしょ、歯がスゥッと」「いや、だから、それは、おれがめちゃめちゃ話をしただけで……じっさいには食べてないんだよ……悲しいことだけども……」「いやいやおれ食べたって」ヤバい。本気で想像力が記憶を塗り替えてしまっている。「いや、買ってきてないからさ、じっさい」どう言ってやればいいのかわからなくなりながら、おれたちは爆笑し、泣いていた。無類のいちご好きの兄である。どんなに食べたかったことだろう。次に呉へ行ったときは絶対に買ってきてあげよう、と心に誓った。なんて名前の店かは忘れてしまったけれど、駅からはそんなに遠くなかったと思うから、歩いていれば見つかるだろう。


 そして長い年月が流れた………


 ブンゲイファイトクラブで知り合った吉美駿一郎さんが広島在住であるのは知っていた。中四国地方に住んでいるBFC系の、吉美さん、阿瀬みちちゃん、ツキヒホシさん、宮月中さんと、わたしが徳島へ行くときオフ会をしようという流れがあったのだけれど、新型ウィルスの余波で延期になった。そのメンバーでグループメッセをしていたら、呉の話が出た。そのとき、「呉には美味しい苺大福の店があるんだよな(店忘れたけど)」と、このブログに書いたような話をしたら、阿瀬みちちゃんが「ひっ、おいしそう……気になる……。どこのいちご大福か分かったらぜひ教えてください……」と食いついた。そして行動が早かった。

「いちご大福気になりすぎてグーグルマップで呉駅周辺の和菓子屋さんを調べてますw 橋を渡ってというのをヒントにいくつか見てるけどなかなかみつからないなー。いちご大福は多分季節限定商品だからか情報が少ない!」

 それで初めて、わたしは久しぶりに呉を、15年前にはなかったGoogle Mapで歩いてみた。そしたら知らない街すぎて迷子になった。橋を渡って、と思ったのだが、橋がいっぱいありすぎる。あの広いかんじもない。あれあれ? あの幻の苺大福の店はどこにあるの?? と、かれこれ2時間くらいヴァーチャルで迷子になったあと、もしかしたらここかも、という店を見つけた。

 博美屋中通店…………

 橋を渡る時の広いかんじ……
 すこしいって右側にあるふつうの和菓子屋……
 内装がちょっと記憶と違うのは年月がたったからかな……?

 吉美さんも行動が早かった。

「博美屋中通り店に電話しました。しかしシャンパンには浸けてないようです。朝とったいちごを使用しているとのことでした。とっても親切な店員さん(?)だった。」

 そして昨日、実際に行ってきてくれたのだ。

「うまい!! お店のかたに『友だちが昔、たぶんこの店でいちご大福を食べたと思うって言ってたので来たんですよ』と話すと『それはこの店です』と笑って答えてくれた。こしあん嫌いな人もこれなら食べられるとのこと。確かにいちごと餡がよくあってる。」「一口目はいちごのフレッシュな感じがあって、わずかにかたさを感じたかなー。二口目になると一体化してたけども」「舌には自信がないので近所の洋菓子店でいちご大福買って食べてみたんだわ。それとは比べ物にならないくらい美味しかった」

「美味しかったです。二回目も食べましたが、酸味はほぼ皆無だった。食感はやっぱり一口目はフレッシュなかたさがあったかなー。でも何個でも食べられそうでした。」

 博美屋さんかどうかはわからないのだけれど、少なくとも美味しいのは間違いなさそうで、なおかつ、もしかしたらほんとうに博美屋さんかもしれないという確信を得ている。

 というのも、苺大福の美味しさに目覚めたおれは、あの呉で食べた苺大福の味を求めて、呼び声高い苺大福とあらば食べるようになっていた。ところがあの苺大福に勝る苺大福に、ついぞお目にかからない。どれもこれも、苺の違和感を克服できていないのだ。美食をしまくっているセレブな知人が、ある有名な和菓子店の苺大福を薦めてくれたので、当然それにも手を出した。その苺大福はそれなりに美味しかった、苺の違和感は克服されていた。だが、苺が甘く爛れたようになっていて、「それはなんか違うんだよな」という感じがした。呉で食べた苺大福は、苺は苺として凛とした佇まいを保っていたのだ。餅は餅の、餡子は餡子の、苺は苺の気概があった。なおかつ一体感があった。だから驚いたのだ、心から。そういうわけで、あの呉の苺大福は、おれの記憶でトップに君臨しつづけた。

 で、この、苺に感じた「凛とした佇まい」が、吉美さんの言う「フレッシュなかたさ」なのかもしれないと、なんとなく思ったのだ。問題はシャンパン漬けの有無。シャンパンに漬けてある、と言ったのは店員さんではなく、案内してくれた彼女だったから、彼女の間違いだったのかもしれない。

 聞いてみたかったが、その彼女の訃報が3日前に届いた。味に精通した人だった。おしゃれで、いつもショートカットで、すらりと背が高くて華やかで、猫とふたりで暮らしていた。

 わたしはちょっと、今どんな顔したらいいかわからない。でも、少なくとも彼女はわたしの人生観を変えた。彼女に確認することはできなくなったけど、彼女の言葉はわたしの中で一生生き続けるはずだ。あの、歌を歌いたくなるくらい天気のよい日、海風をあびながら買いに行った、幻の苺大福の味とともに。




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