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【短篇】トーキョー・サレンダー

「狙撃手に伴侶はいらない。守るものがあればあるほど、トリガーを引く指が重くなる」

そう俺に言った観測手のスコットは、4日前に奇襲を受けて死んだ。散弾銃をまともに食らい、顔を腐ったリンゴのように吹き飛ばして。


「アフガニスタンのことを思い出すな、ええ?」

奴の最後の言葉だ。戦地の真っ只中、それも倒壊寸前の立体駐車場で言うような言葉じゃない。あの言葉に意味はあったのか、それともいつもの妄言なのか。今となっては確かめようもないが。


戦争が始まったのは、俺達が新宿のヤキトリ屋で一杯やっている時だった。
ビールを呷っている俺に向かって、スマホを見ていたスコットが啞然とした顔で「ヤバいぞ、ジャック」とこぼしたのが、全ての始まりだった。俺達はすぐに最寄りの米軍基地に召集され、頭からアルコールを追い出しながら、支給された装備に身を包んだ。
それからは混乱に次ぐ混乱で、俺も全部は覚えていない。ミサイルが日本北部に着弾しただの、海上自衛隊のイージス艦が沈められただの、信じがたいような話が次々と軍用無線から飛び込んで来た。

数カ月もしないうちに、日本は無政府状態に陥った。
スラム街と化した東京では、大規模な暴動や強盗殺人、陰謀論者によるテロ行為が蔓延した。

「これがサムライのすることかよ、ジャック」

スコットの言葉だ。いくらサムライといえども、この世の地獄でブシドーを貫けるような聖人なんていないだろう。俺は苦い顔をしながら、任務に向けて身支度をしていた。


それから1年ほど経ち、日本はほとんど死の島となりつつあった。
自衛隊は壊滅、警察も機能不全。かつては街の自警団が警察の代わりに治安を守ろうとしていたが、某国の軍事侵攻の結果、それもまた壊滅することとなった。今では数少ない生き残りが、崩れかけた家屋に閉じこもって最期の刻が来るのをただ待っているばかりだ。
サムライ・ニンジャ・ゲイシャ・オタクで有名だった極東の島国は、見る影もなく陥落した。こんな時が来ようとは思ってもみなかった。

とはいえ、俺も他人事では済まされない。
米軍はまだかろうじて機能しているものの、日本の制空権を敵国に奪われてからは、全くと言っていいほど補給が来なくなった。
つまり、食料も弾薬も銃も手元に届かなくなってしまったのだ。食料は底をつき、弾薬は全部合わせてあと14発。手持ちの軍事無線も、度重なる戦闘の末に故障してしまった。あの時の絶望は、俺の人生で一番だった。翌日にスコットが死に、その物資も弾薬1発を残してすべて使い切ってしまうまでの、短い天下だったが。


見知らぬ民家から拝借したカビまみれの携帯食料を口にほおばりながら、俺たちのねぐらから東京の辺地を眺める。生物の気配はまったくなく、そこにはただ砂っぽい風が吹いているだけだった。
かつては大規模な家電量販店であった駅前の建造物に、“年末大特価セール!”と書かれた旗の残骸がたなびいていた。

「墓標のようだな、スコット」

俺はそうつぶやくも、奴の返事はない。スコットの遺体を埋葬するどころか、ドッグタグすら回収できずに撤退してきてしまった。


何か光るものが見えた。俺の中に、まだ涙を流せるだけの水分が残っていたとはな。


しかし、視界は一向に滲まない。それどころか、光はなんども俺の視界によぎった。

とっさに身を隠す。あれは涙ではない。ガラスの破片でもない。
スコープだ。あの光は、間違いなくスコープの鏡面に反射した太陽の光だ。まるで望遠鏡を覗くかのように、スコープを使って索敵をしているようだ。敵国の外道どもが、まだ残党狩りなんかしているのか。絶対に生かしては帰さない。スコットの仇討ちといこうじゃないか。

俺は隣の窓に移動すると、肩に掛けていたライフルを外す。
スナイパーのくせに狙撃の腕は隊内最下位だった俺が、観測手もなしに撃つことになるとはな。
血管中を脳内物質が跳ねまわり、身体がどんどん大きくなっていくかのような興奮に包まれながら、俺はライフルを構えた。
スコープを覗くと、遠くの物陰に先ほどの光の主が見える。スコープの倍率を変え、そこへズームしていった俺は背筋が凍った。


見られている。奴も、俺を見ている。それもうつ伏せでライフルを構え、微動だにせず俺を見ている。俺を見ている。俺を見ている……。


ようやくうつ伏せになり、射線を切った。
まさに臨死体験。奴がなぜ撃たなかったのかは知らないが、それにしても助かったことだけは事実だ。心臓がはちきれんばかりに高鳴っている。
もうここにはいられない。とにかく新しいねぐらを見つけねば。
俺は窓に映らないよう注意しながら荷物をまとめると、重く頑丈なバリケードを崩し、外に出た。

物音を立てないように、なおかつ身体を物陰に隠しながら、じりじりとねぐらとしていたマンション内を駆けていく。いざという時の奇襲のために、俺の相棒―弾すら入っていない、お守りのコンバット・マグナムを右手に握りながら。俺が相手と目が合ったということは、相手も移動しているに違いない。狙撃手は姿を見られたら移動するのがセオリーだ。相手がどんな訓練を受けたかなんて知りようがないが、少なくともこのセオリーだけは共通しているだろう。


まずこのマンションから出なければ。倒壊した一階部分の抜け穴から外の様子を窺う。目に入るのは、潰されている家々、砂礫まみれの道路、そして光……

とっさに頭を引いた。またあの反射光だ。完全にマークされている。そもそも、ここから出られると思ったのが大きな間違いだった。
別の入り口は既にバリケードで封鎖してしまっている。これが裏目に出るとは。


こうなったら裏手の二階ベランダから飛び降りて逃げるしかない。俺は奴に先読みされる前に奴を狙い、撃ち殺さなければならない。スコットのために。
俺は外側から見えないよう匍匐前進の体勢になり、二階の階段を芋虫のように上っていった。

二階の、とにかく射線の通りにくい部屋。奥だ。奥へ行こう。
俺は一番奥のドアを蹴破ると、飛び込むように部屋へ侵入した。荒らされた形跡や、浴室から漂ってくる腐臭などには目もくれず、俺は正面のドアに手をかけ、開けた。


こちらに銃口が付きつけられていた。それを理解するよりも早く、俺は右手のリボルバーで奴を撃った。頭が考えるよりも素早いスピードだった。それは、ジャック・ウェインの生涯で間違いなく最高の早撃ちだった。

しかし、相手は倒れなかった。弾薬の補給がなく、俺のリボルバーには弾が入っていなかったためだ。

俺はその場に崩れ落ちると、喉から笑い声が湧き上がって止まらなくなった。なんて無駄な人生だったんだ。俺はここで灰色の脳みそをぶちまけ、そのまま腐って朽ちていくんだ。スコットの仇すらも討てずに。こんな人生があるか。すべて無駄。徒労。


乾いた笑いが途切れると、俺は最後にひとつ気になることがあることに気が付いた。
「こりゃもうゲームオーバーだな。なぁあんた、最後に顔見せてくれよ。俺と、俺の仲間を殺したあんたらがどんな顔してるか、最期に拝みてえんだ」

両手を挙げることもせず、俺はなんの気なしにそう尋ねた。無視され、弾薬の破裂音を聞くことはわかっていた。


しかし兵士はライフルを下ろすと、顔中に巻き付けていた布をめくった。




そこには、腐ったリンゴのようなスコットの頭部が載っていた。

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