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レモンを愛したいくつかの理由

レモン、れもん、檸檬、Lemon…表記は様々あれど…たかがレモン、されどレモン。

子供の頃には、レモンスカッシュに代表されるような、レモンは爽やかさの代名詞的存在だと認識していた。まだ無果汁のジュースやソーダにしか触れてなかった身にはレスカは何だか眩しかった。
レモンは色も形も美しいし言葉の響きもいい。実際はあまりに酸っぱくて直に食べるなんて以ての外だったかな、それは子供だから。
でも歳をとれば酸いも甘いも噛み分けるようになる。その『酸い』の部分を担うのがレモンの役割かもしれない。
私にとって印象深いレモンたちは…。


1)中学生の時、何でもいいから好きな詩を選んで原稿用紙に綺麗な字で書け、という課題があった。友人は確か南こうせつの歌の歌詞を書いてた。
私はどういう経緯でそうしたのだったか、高村光太郎の『レモン哀歌』を選んだ。おそらく父が持ってた本の中にあったのだと思う。

光太郎の智恵子への想いも胸を打つものがあるけれど

【トパアズいろの香気が立つ】

この表現だけでも詩的に美しくて惚れ惚れする。最後の

【すずしく光るレモン】

も素敵な表現だ。
哀しい詩だけど、自分で書いていて清々しいものを感じていた。原稿用紙が白くあかるい色をしていたような。そんな記憶が私を彩っている。

2)その後、さだまさしの『檸檬』に出逢う。
この歌に強烈に惹かれたのはなんといっても色彩の美しさだ。

【湯島聖堂の白い石の階段に(中略)
    檸檬細い手で翳す(中略) 齧る
    指のすきまから蒼い空に
    金糸雀色の風が舞う
    喰べかけの檸檬 聖橋から放る 
    快速電車の赤い色がそれとすれ違う】


光太郎のトパアズ色に対して金糸雀色である。
白と青と黄色があって更に赤が入る。
(無関係だけどこの色彩フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』にも通じるな)
実はレモン哀歌の中にも、白、青、そして桜の色が出てくる。
これらは対比されることで輝きを増す色なのかもしれない。

歌詞全体は青春の危うさや脆さを歌っているが、私はこの檸檬の色彩を伴った存在感にとても惹かれた。
後年、色彩学の勉強を始めたのも、この歌の世界とは無縁ではないと思っている。
光太郎の詩もそうだけど、本来表現する内容を更に際立たせる小道具のようにレモンは登場するのかもしれない。

シングル盤ジャケット
ここには色はない

https://youtu.be/sNhJ5baR1HE?si=Z2HZ2nC4FPmo8b-t

3)さて、『檸檬』といえば梶井基次郎の短編小説である。
さだまさしもこれにインスパイアされたようだ。読んでみると、よくこのような思いつきをするものだと思う。
それだけレモンには存在感があるということだろうか。

この小説以来、丸善の店の棚には誰かがこっそりレモンを置き、さだまさしの歌以来、聖橋からレモンを放る人が後を絶たないと言われる。
以前読んだ本(『活字探偵団』というタイトルだったはず)によると、丸善は店によって置かれるレモンの場所が違うらしい。原作に登場する京都店では原作通り美術書の、東京では梶井の本の側に置かれている、と記憶している。今もそうかはわからないが。
個人的には丸善には行ったことがないし、聖橋には行ったがレモンを放る勇気はなかった、というかそれは勇気なのかどうかわからないけれど。


梶井基次郎の檸檬表紙


4)それからドラマ『カルテット』ではレモンにまつわる有名な場面がある。
カルテットの4人が食事をするのだが、鶏の唐揚げがありレモンが添えられている。4人のうち2人が気を利かせてレモンをあらかじめ搾るとそれを1人がたしなめる。
唐揚げにレモンしたくない人もいるのに断りもなくかけるのはどうなのか、と。
唐揚げはレモンをかけない状態には戻らない、不可逆なのだと。

初回で、これを言う家森諭高というキャラがとても面倒くさい人物だという描写をしているに過ぎないと思わせるのだが、後々凄く効いて来る。物語の大事な部分に繋がって行く。
レモンがかかった唐揚げは元には戻らない。レモンは脇役のようで主役を食う程の存在感があるのだ。
後に家森はパセリについても言及するがその件りはレモン程のインパクトはない。パセリは脇役過ぎて気の毒な存在かもしれないが不可逆ではないから。

『カルテット』レモンの場面



5)そして米津玄師の『Lemon』
いい歌だと思いながらそんなに気に留めてなかったが、ある時じっくり歌詞を読むと胸に迫るものがある。
レモンは苦いものとして蘇って来る哀しみの象徴のように描かれているけれど、私はラストのフレーズに殊に惹かれた。

【切り分けた果実の片方の様に
    今でもあなたはわたしの光】

この光景がとても美しいと思う。
ここでも哀しみを際立たせる小道具としてレモンがある。
小道具という言葉では足りない程だ。

レモンは光るのだ。眩く輝くのだ。破裂するかもしれないのだ。苦くて酸い果汁を撒き散らすのだ。それは私たちを黙らせてはおけない不思議なものとして存在するみたいだ。

Lemonジャケット画


6)ところでレモンにはLemmonという表記もある。
ジャック・レモンというアメリカの俳優の名前のスペルだ。
個人的に好きな彼の作品は『アパートの鍵貸します』『グレート・レース』『マカロニ』『お熱いのがお好き』といったところ。

かつて私の父が言ってたウンチクでは、ジャック・レモンという名前は「ありふれた奴」という意味とのことだったので芸名なのかと思っていたが、ウィキペディアを見ると、本名を少しいじっただけだった。むしろLemonがスラングで『不良品』を表すらしく、そのため改名しろと言われたが本人は拒否したと書いてある。
しかしそういう名前に反して名優として沢山の作品に出演、数々の賞も受賞している。コメディからシリアスな役まで幅広く演じ、親しみやすい風貌で愛された俳優だと思う。一見、アクの強さはないけれどいい味がある。

ここでも、レモンの存在感は光る。

レモン氏は音楽も嗜む



レモンは小宇宙だと云った人がいる、とさだまさしは檸檬のライナーノーツに書いているが、だからこそこんなにレモンにまつわる沢山の物語が紡がれるのだろう。
書店の棚に置かれたり、死の床で齧られたり、橋の上から放られたり、唐揚げにかけられたりしながら、いつもいつでもいつまでも光り輝いている。
それは時として青春の残滓で、得体のしれない物で、苦々しいもので、疎ましいもので。
でも、少しの希望ということもあるから。 
そこに閉じ込められた様々なものを弾くかのように光を放ち続けるだろう。



※余談その1
ジャック・レモンの画像を探してみて彼がアルバムを出していると知る。歌と演奏を手がけているようだ。実は某映画で彼がピアノの腕を見せている印象的な場面があるのだが、なるほどそういう下地はあったのだと思った。いや、そもそも達者な俳優というものはいろんなことが出来るものではある。

※余談その2
さだまさしの『檸檬』にはアルバムVersionとシングルVersionがある。個人的にはアルバムの方が好きだ。編曲はサイモンとガーファンクルなどを手掛けたことで有名なジミー・ハスケル氏。

※余談その3
訳あって友人と『青いレモンの会』なるものを作ったが、それはまた別の話。。。


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