記事はラブレター
9月に入った途端に、秋の虫の音や、葉の色づき、空気の乾燥を感じるようになりました。
年々色んなことに敏感になっている気がします。
歳を取っているはずなのに、子ども目線で物事を考えるようになった今は、
子供の頃に見えていた世界の一部が少しずつ蘇るようになったことに驚く日々。
それはとても大切なことを取り戻すための作業のような気がして、
一日一日を丁寧に生きなくては、と思うようになったかもしれません。
私にとって今年の8月は、久しぶりに朝から晩まで、
頭の中が”仕事”という海にどっぷりと浸かっていました。
深呼吸ができず、浅い呼吸のままひたすら走り続けた一ヶ月のような気がします。
どんなに息苦しくて辛くても、取材が楽しいと思えたのは、自分でも新たな発見であった気がします。
あんなにも”人”に対して嫌悪感を持っていたはずなのに、やっぱり人は、人によって救われていくのかもなぁと思うことができました。
だから同じように思っている人は、恐れずに、ゆっくりでもいいから、完全に扉を締め切らないでいてほしいと思います。
それでも、たとえゆっくりだったとしても、必ず疲れてしまう時はあるので、その時は無理せず一旦休むということも大切であることを、今さらながらに痛感するのでした。
言葉を紡ぐというのは相変わらず難しくて、素人感満載の記事だけれど、大切なのは、伝えたい想いがそこにはちゃんと書かれていることが重要なんだ、と、今では思っています。
記事を書くって、ラブレターを人に見せるようなものですよね。
自分が何を感じたのか、どうしたいと思ったのかなど、頭の中を表に出していくわけですから。
最初はそれに抵抗があったから、取材するお仕事は避けていたのだけれど、もっと早くやればよかったと思うようになった自分に、誰よりも自分が一番驚いています。
本当は今日こんなことを書くつもりではなかったのに、つい、溢れてしまいました。
たまにはこんな日があっても良いのかもね。