FC東京と私~昔、SOCIOでした。

あくまでも過去形。
SOCIOというのはFC東京の年間チケット会員のことを言います。

ただ、もうそれからも離脱しています。

私がこのチームを知ったきっかけは1994年の春。
同時私の母親が通っていた美容室の息子さんがそのチームに加入することになったというのがきっかけです。

そのチームとは東京ガスフットボールクラブ、いわゆるFC東京の前身のチームです。
当時はJFL(ジャパンフットボールリーグ)に加盟していました。

ちなみにその選手は当時のヴェルディ川崎からこのチームに移籍し、後にベルマーレやコンサドーレ札幌に所属して、今はコンサドーレのどこかのカテゴリーでコーチをされていると伺っております。

当時はJリーグが開幕して、日本中を席巻していましたが、何せへそ曲がりなところがありイマイチ感情移入できませんでした。
そこにこのチームがあると知って、さらにJFLというどちらかというと陰日向な存在に好感を持ち始めました。
とりあえず、最初はスポーツ紙のベタ記事でちょくちょく結果はチェックしていました。

で、一番最初に観たゲームが1994年9月15日に江戸川区陸上競技場で行われた東京ガス対柏レイソル戦です。
あの時レイソルはなんやかんやがあってJ創設から漏れて、JFLに所属していたのです。
スタジアムも95%はレイソルサポで埋まり、メインスタンドとホーム側のゴール裏に東京ガスの関係者とサポーターがいたように思います。

で、翌1995年くらいから本格的に見始めました。
当時は西が丘、江戸川、駒沢そして夢の島と通い、特に西が丘には良く通いました。
住んでいた東京の山奥から。
まだあの頃は旧日本サッカーリーグに関する選手の名前の看板を収納していたのであろうロッカーがどこかのゲート付近に残されていた記憶があります。

あの頃は東京ガスとホンダが番犬扱いされていてJリーグに上がりたいチームに立ちはだかっていました。
何よりホームゲームでも1000人くらいは居れば御の字でしたし。
そして当時チームを率いていた大熊清監督の大声がスタジアムにこだましていたものです。

それがJ2創設にあたりFC東京としてJ2に参加することになったのです。
その頃私は大学を卒業してサービス系の会社に在籍していました。

つまり土日は行けなかったのです。
最後のJFLだったシーズンこそシフトのあやで見にいけましたが、J2に参加した1999シーズンは見にいけませんでしたし、一旦熱は冷めていました。
ですので、シーズン当初からの年間チケット会員には申し込んでいませんでした。
ところがふとした思いがありそのシーズンの後半から年間チケット会員になりました。

そして、伝説とも言われている当時のJリーグヤマザキナビスコカップ(今のYBCルヴァンカップ)の準々決勝第2レグ、対横浜Fマリノス(横浜FM)戦を観に江戸川区陸上競技場に行きました。
チケットはソールドアウトで、西葛西駅にはチケットは完売していて当日券はないというアナウンスをするスタッフとチケットを乞うマリサポと思われる女性が居りました。
(後者は結構居りまして)
私はメインスタンドの指定席エリアで観ていましたが、バックスタンドの自由席エリアが段々キツキツになっていく様子を見ていました。
結果FC東京が横浜FMを下して準決勝に勝ち上がり、そのホームゲームは国立競技場開催となりました。
あの時は仕事を半ばバックレて国立へ行ったモノです。
(やり方が拙かったので後で上司にこっぴどく叱られましたが)

で、新潟の奇跡を経てJ1に昇格したと同時にそのカイシャを離れ、土日も行ける環境になりました。
その年はまだ本拠地となる味の素スタジアムが工事中でしたので、旧国立競技場でホームゲームを行い、その条件と言うことで地方で主催ゲームを行っていました。
そのうち金沢で行われた柏レイソル戦を観に行きました。
(会場は今ツェーゲン金沢のホームスタジアム)
ゲームは負けて、片町で独り呑み、帰りの八王子行き高速バスはダブルブッキングで予備席に差し向けられたものです。
(購入したJ×Bと(ピー)はダブルブッキングが多いんですよと窓口の北陸鉄道の係員は教えてくれましたが)
確か行きは新幹線→はくたかで行きましたが。

で、翌年味の素スタジアム(当時は東京スタジアム)が竣工し、オープニングマッチとなったリーグ戦の対東京ヴェルディ戦はシーソーゲームの末にFC東京が勝ちました。
そして、その年の七夕に施行された鹿島アントラーズ戦では当時大人気だったゴスペラーズが招かれ生でYou'll never walk aloneを唄っていました。
あの時は48,324人という恐らく今後味スタにおいてサッカー関係で絶対に更新できないだろう動員を記録しました。
この時は緩衝エリアもなく、バックスタンドの自由席で鹿島から来た団体さんとのんびり呉越同舟的に観ていたものです。

そして、まだSOCIO会員の特典だったフェアプレーフラッグペアラーに二度選ばれ、旧国立と味スタのピッチに立ちました。

旧国立のピッチに立ったヒトはそういないでしょうからいまや自慢できるでしょうね。

あと2004年と2009年の当時のヤマザキナビスコ杯、2011~2012年天皇杯の優勝の祝賀イベントにも行きましたが、そのうち某市は対応が塩だったのも印象的でしたね。

自分たちにはラグビーがある!と言わんばかりの(苦笑)

そして、時は流れていきホームゲームの時はいつも開場1時間前くらいに味スタに着いて自由席で観ていましたが、数年前からそれに疲れてバックスタンド上層の指定席を購入して観るようになりました。
ただ、周りのいる客がクセが強いのばかりでして・・・。

そのうち、満杯のスタジアムの中にいることが精神的に耐えきれなくなり、例えば行ったとしても前半かよくて後半の30分くらいでスタジアムを辞すことが増えていました。
(特にナイトゲームでは)

そのうちにアレが世界を席巻し、2020シーズンが第1節を開催してから長期の中断に入ってしまったのです。
それから無観客で再開して、翌シーズンは無観客から制限付きへと徐々に増えていったとは言え、徐々に熱気が冷めていったのも事実です。
それこそ再開当初はDAZNで割と熱心に観ていましたが、そのうち観なくなり始め、結果次第では全く観ないことも増えてきました。

決定打は、仕事が変わりそれまで華の都まで通っていたのが、隣街の工業団地での仕事に変わったことです。
通勤時間も8分の1に減り、その影響で定期券で行ける範囲も縮小してしまい、近郊へ出るにもチャージからさっ引かれてしまう形になってしまったのです。
つまりスタジアムへの交通費がワンコイン以内から千円札になってしまったのです。
さらに土日にも仕事がかかってしまうことにもなりましたし、追い打ちをかけるように食い扶持も激減してしまいました。
そういう意味で可処分所得も大幅に目減りして味スタに気軽に行けなくなったとも言えるのです。

そして運営体制が東京ガスから渋谷創業の某IT企業に移管された事もあり、2021シーズンを以てFC東京のSOCIO会員を終わらせる決断をして、クラブに対して2022シーズンの年間チケットの更新はしない旨通告した次第です。

今シーズンは監督も替わったそうですが、DAZNですらほとんど観ていません。
順位も中団にとりついているような感じで、相変わらず中途半端感が拭えない感じだなと思っていますし。
あとチームや選手、関係者の各種SNSもフォローから一斉に外しました。

むしろ最近は東京ヴェルディ側に寝返ってしまおうかなと思ってるくらいです。
元々私が住んでいるエリアは昔から読売ユースの頃から所属している方も多いことから旧読売クラブ由来の縁も多く、FC東京陣営もU-15むさしを小金井市に発足してからは増え始めたくらいで、そんなに多くはないですし。
別に「緑」にアレルギーなんかないですし(苦笑)、ヴェルディにはFC東京が忘れた何かを持っていると感じますし。

ちなみに一時FC東京がペーニャという勝手連を作るようなキャンペーンがあり、当時住んでいた京王線沿線のバーのペーニャにひょんな事から入りましたが、皆(当時発売が開始されたばかりの)iPhoneを手に持ち、Twitterやらfoursquareやらに興じている姿を視て、当時ガラケーだった私は打ちのめされた感はありました。

そのノリにもついて行けず違和感を持ち続けたまま通っていましたが、結果としていつの間にやらフェードアウトしましたけどね。

あとそのメンバーの中にネット上では超有名な方がいらっしゃったそうですが。

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