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第二の人生はじめました。

全宇宙の皆さま、こんにちは。

ふゆか神社のふゆかです。

いつもご訪問ありがとうございます。

ようやく、自由の女神になりました。

なんとも言えない、清々しい気持ちです。

家族の支え、物理的には離れていてもこのように今はSNSで繋がりを持たせてくださっているいつも応援してくださっている皆さまのおかげです。

感謝いたします。

会社を辞める前にラップトップ買っておいて本当によかったです。

さて、これから成すこと選択すること全て私次第です。

今、感じていることをありのまま綴ってゆこうと想います。

よかったら最後までお付き合い頂きますと幸いです。

第二の人生を歩むことについてお話しできれば。

私は小学校2年生あたり?から早く結婚して若いお母さんになって子どもは5人産む。子育てを愉しんで、おばあちゃんおじいちゃん、ひいおばあちゃん、ひいおじいちゃんと一緒に住んで子育ては地域のみんなで。社会貢献、日本に貢献、地域貢献は、女性は大人しく家庭に入ることが常識で正しくて、周りに喜んでもらえる。それが私に求められていることでそれ以外他に道は無いと信じていました。

孫たちと一緒に過ごして、60歳くらいであの世へ旅立つ。

と信じて生きてきました。

なんか違うかも…

時代は変わった。

ほかにも私らしい生き方があるのかもしれない。

と密かに悟り始めました。

そもそも、私、結婚したいのかな?

結婚とは、なんぞや?(笑)

もっと色々な人と関わりたい!

自我がやっとメキメキと芽生えました。

アラサーになって。(笑)

”会社員卒業”は、大きなターニングポイントであるのは確かです。

そもそも、自分で自分の人生を生きていない、発心で選んでいないことに違和感で長年苦しかったのです。

故に、飛び出しました。

後先考えないでね。

人生は一度きりである。

入社して5〜6年経ってから私は私の心に正直に生きてゆきたいと強く想うようになりました。

2017年冬、突然父親が家を出て行きました。

ちょうどその頃でした。

私の心は張り裂けるように辛く、悲しく、虚しくて。

社会人になってからいつも心が不安定でした。

会社では、女優として生きる。

装って生きていくほうが、楽だったから。

会社という組織で息をすることは、五感を秘めて生きてゆく場所。

職場での役割なので、与えられた場所で仕事をこなすだけ。

振り返れば、実家に戻ってくるのが間違いだったなあと。

家族の反対を押し切って一人暮らしかシェアハウスに転がり込んでおけばよかった。(笑)

今、この記事を書きながら涙が出てきました。(笑)

祖母は、お茶屋さんを守ることに全力投球。

父は外で働くサラリーマン。

母は、お店の女将さんでいわゆる営業。

商売柄外面はいいかもしれないけれど、正直申しますと

家庭の中はほとんど会話がなくていつもギスギスしておりました。

両親が離婚してしまったのは、今でも私の責任だと感じています。

お父さん、お母さん本当にごめんなさい。

あのとき、もっと素直になっていれば…

それでも、壮絶な体験をさせてもらえてこのような氣づきをえられたことには感謝しています。

当時25歳の私は、月曜日から金曜日までバスと電車を乗り継ぎ、往復3時間かけて自分にとって全くワクワクしない、モヤモヤしかない会社員生活を送りながらお休みの土日祝祭日は機械的に店番をする日々。

今は以前よりも”愉しんで店番しよう!”と想えるのですが、過去の私はどこか”やらされている感”があり、母に頼まれてもいい返事ができませんでした。

恋愛もまともにする余暇もなかった。

したくても、どうすればいいのか分からなかった。
(´・ω・`;)

結婚相談所への入会お誘いを受ける(入会せず)、お見合い、マッチングアプリ…
色々試しました。(笑)

店番すれば、周りが喜ぶ。

私はそれでいいんだと諦めちゃっていました、半分。

もったいないことしていましたね。

それこそ私の体、心がかわいそうです。

自分のことは二の次にしていた人生。

お金をドブに捨てるような人生。

違いました。

私は私のことを愛でてあげなきゃ。

自分ファースト。

今はだいぶ前よりも満たされています。

おかげさま。

今なら理解できます。

父はお休みの日には、家にこもって片付け、整理整頓、病院に行く日々。

いつも自由気ままに過ごす父と比べては勝手に落ち込んで、イライラしていました。

父は、何も悪いことをしていないのに、父とは口を聞きたくない。

本当は他愛もない話がしたいのに。

家に帰って来ても、誰とも会話をせず淡々と暮らしを送っていました。

小さな歪みが重なり、大きく地割れが発生したのが2017年の年末でした。

幼い頃に体験したフラッシュバック。口答えをすれば母に殴られる。そんな母親にはいつも怯えていて、言いたいことを言えず、氣持ちを押し殺して生きてきた私は宿題をするときも特に算数が苦手で計算ができない。急かされれば急かされるほどパニックになり母親には壁に叩きつけられ、勉強ができないと髪の毛をひっぱられ、一緒にお風呂に入るとなれば日々の子育て、お志事の忙しさに氣が狂ったように謎に湯船の中で入浴している私をその場で無理矢理立たせ、牛乳パック1リットルを頭からかけられ私はそれで泣きじゃくれば、ベランダへ裸のまま放り出される。

もう、20年以上前の話ですが。(笑)

話を戻しますと、

悔しかったんです。

自分、これでいいの?と。

私、何のために生まれて来たの?

本当はどうしたいのかな?

何を想うの?

きちんと自己主張しなければ私が潰れる。

と確信しました。

小学校卒業するまでは、家庭環境はひどかったような氣がします。

でもね、家庭環境はそれこそ”ウチは内、ソトは外”です。

中高一貫校に入って、かなり逞しく育ちました。

それから、やはりお茶が好き。

急須で淹れるものと想っていたから、ペットボトルなんて論外。

でも、売りつけることはしたくないし、売ることにそこまで関心を持てません。

私と過ごして”愉しかった”、”心が軽くなった”、”癒された”と言って頂くことの方が遥かに嬉しくて、私自身もそれを望んでいるし、出逢ってゆき、そのご縁がご縁を紡いでゆく先に何かほわっとあたたかいものがあるのではないでしょうか。

今、自分でもよくわかっていないのですが

お茶とクレイはあくまでもツールでしかない。

そして、お茶は国産でもクレイは輸入品です。

いつ入手不可能になってもおかしくない。

常に、”if"を念頭に置く必要がありますね。

お茶は美味しいし、栄養もある。

カテキンの力で体の中に溜まった悪いものを出してくれる。

飲み続ける理由の一つです。

お肌がカサカサで荒れている女性に触れたいですか。

男性も然り。

私はいつまでも明るく、自然体でいたい。

そう、まるでお天道様のような人。

健康とは、いろんな要素がもちろん含まれるのですが

まずは体が健康でないと、幸福に愉しめないと考えています。

そして私は結婚できるのかわかりませんが、

せっかく女性として生まれてきたので出産は体験したいです。

仲良くさせて頂いているメンターがおりますが、

彼女に四柱推命を見てもらったとき、”人脈100%だわ、冬ちゃん!(笑)”と言われて、おっかなびっくりでした。

彼女によると、何かに100%という人は私が初めてだったそうです。(通常は、例えば愛が75%、勇気が20%、経済が5%などのようです)

私の魅力とは何か、ちょっとよく自分でわからないのですが好奇心旺盛でとにかく人の人生に興味があるのです。

もしパートナーとしてお付き合いする方が今後出てくるとしたら、たくさん失敗している方が理想的です。

あまりにも着飾って、挫折したことの無い人には魅力感じないかな。(知らんがな。(笑))

旅をするように生きてゆきたい。

いつまでも。

旅に飽きたら、そのときに考えます。

人生まだまだ捨てたもんじゃない。

何があっても、大丈夫。

読んでくださりありがとうございます。

ちょっと長くなりました。

合掌。



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