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「路地」を探して…

この正月に何冊かの写真集を眺めていた。そのうちの一冊が、「路地」中里和人氏の写真集だ。図書館で表紙の写真を見て、何となく選んだものだった。ページを捲り眺めていくと、「これどこだったっけ…」と、その一画一画がどうにも何処かで一度見た事があるような錯覚に陥った。そんな筈はないと思って…。

撮影場所について、最後の2ページに記されていて、全国各地で、私が行った事がありそうな場所はほとんどなかった。なのに、何かこう懐かしい感じ、久しぶりに帰った故郷の道がやたら狭く感じた時の空気感に似ている。

時間を忘れてじっと最後まで見入ってしまった。好きな写真が何枚かあったけれど、私のいつも撮ってる葉っぱや花、小さな生き物たちとは、全く違った世界だった。だけど…

違った世界だと思ったけれど。同時に共通するものがあるように思った。そこに魅かれて、また1ページからページを捲っていった。とても好きな世界だと思った、何が???

分からないのだけど、写ってる風景は、普通に言ったら路地じゃないよなってものがある、そういう風景の方がもしかしたら多いのではなかろうか。中里和人氏の「路地」に魅かれたのだけれど、同時に自分の中の「路地」ってどんなだろうと想像し始める。「少し考えてから、自分でも「路地」を撮ってみようと思い立ち、カメラを持って門を出た。

いつも散歩する界隈を一周するに加えて、ちょこっと寄り道回り道をしてみたけれど、「路地」が見つからない。ここら辺には路地がないな…何処もかしこも道が広いし、奇麗な舗装道路だし…。もしかしたら、私の裡に「路地」がないのかな……。

では「路地」は道幅が狭くて、ガタゴト道だったらいいのかな…って思うと、それもしっくりこない。でも何だか俄然、自分の「路地」を撮ってみたくなった。のだが…果たして見つかるのだろうか。

彷徨い続けて、見つけた幻を見たかのような「路地」を想う。私の「路地」が撮れたらきっと(拙き写真であるだろうけれど)、その言葉の実態が何か分かるかもしれない。いつも身近な小さな生き物たちの世界との共通点も…そう思うとウキウキワクワクしてきた。

家に帰ってから、またページを捲った。あとがきああったことに気づく。

「明日、帰るべき路地に」という題で松山巖氏によって書かれていたのだけれど、その中に何度も読み返した部分がある。

人間は迷わずに生きて行けるものか。人間の生は路地のごとく曲がりくねっり、行く道を時に間違え、ときに同じ道を繰り返し通らなければならない。車に乗って大通りをスイスイと通過るすこともあるだろうが、どこに生の妙味があるというのか。人間は生まれ、成長し、自分の路地から抜け出ようとする。しかし進む道はやはり曲りくねった路地なのだ。振り返って見れば、表情をがらりと変える路地なのだ。「行きはよいよい」と車に乗って忙しく通過したところで、いつかは「帰りはこわい」路地に独りぽつんと立ち止まらざるを得ない。人間はいくつになっても迷子だ。この人間の生をも写真家はいくつもの路地の光景に重ねて写したのだ。

私の路地、重ねる光景がいつか見つかるのだろうか、どんな路地なのかと考えて大きく深呼吸をすると、生の妙味という言葉が心をくすぐるのを感じた。

写真から伝わるものは、自由で柔軟で味わい深い、そんなことを思いながら……今年の始まりです。

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