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心の硬い部分が溶けだした…

先週、月に1回ある集いにしばらくぶりに出掛けた。その会は、付き合い始めてもう4〜5年くらいになるだろうか。引きこもり系の子供を持つ親の集まりだが…、最近はみなさん状況を受容しているので、涙のためのティッシュボックスは要らなくなった。日々の子供の新しい変化を報告しあうくらいなのだ。「うちの子、足を洗えるようになったよ。風呂に入らなくなって10年近いけど、なんで足だけだか…」「よかったね、次は膝くらいまでいけるかもね」といった具合だ。子どもたちといっても、もう30近い大人の子供。特性が強く生きづらさを抱えている。

今回話題は、少し広がって、うちの一人の職場の話になった。Aさんとしようかな。Aさんの同僚への不満なのだが、その同僚は年も勤続年数も給料もほぼ同じなのだが、働きが違うらしい。Aさんは気が利かない同僚をフォローして数倍働がないといけない状態。Aさん曰く、あの人は「ずるい」らしい。話をよくよく聴いてみると、どうもその同僚は、特性があるようだ。あまり使いたくない言葉だけど分かりやすいから1度だけ「発達障害」、このグレーソーンなのかな…。

私もそうなので、その辺はよく分かる。「気づける分かる出来る人」にとっては、「なぜこんなことができないのか」出来る筈なのにやらない、狡いとなるのでしょう。おそらくその同僚は、自分の許容量内で精一杯生きてるだけで、間に合ってない事すら気がつかないのだ。だから嫌みを言われても気がつかない。あくまで予想ですが…。

以前、もうずっと前になるが、私も同僚に同じような関係になってしまったことがある。その時その同僚も私にかなり壮絶なロングメールを何十回も送ってきて、私は鬱になった。なぜ自分がこんなに言われるのか全く分からなかったからだ。ただ自分が駄目なんだってことだけが、気持ちの中にたまって行ってしまったのだ。

カウンセラーに、それはハラスメントだよ。あなたが悪い訳じゃないようだと言われて、初めて生きた心地がしたものだった。それから、その人との距離を出来るだけ取るようにして、自分を取り戻して今日があるのだけれど。私の中に被害者意識が出来上がっていたようだ。オーバーに書けば「特性を理解できな多数派のいじめにあった」といったところだ。

今回、このAさんの話を聴いていて、初めて生まれた感覚がある。それは、私は被害者じゃない、あの時の同僚を苦しめた加害者。きっとAさんのように悩んだり困ったりしていたんだろうな…。(Aさんは、食欲がなくなり、げっそり痩せていた。)私は自分のことばかり考えていて気づけなかったけれど。私が分かって欲しかったように、同僚の彼女もきっと私に分かってほしかったのだろう、だからあんなに鮮烈な言葉を送ってきたのだろう。

未だに、メールを開く時に起こる恐怖感は無くならなけれど…、私の中の彼女に対する気持ち(恐怖、嫌悪)がちょっと消え始めたのを感じた。もうそのかつての同僚に会う事はないのだけれど、もし会う事があれば、いつかそんな話ができるかもしてないとさえ思った。今はこのAさんの不満を丸ごと聴いて受けとめてみたい、そうさせてもらおうと思った。

私のこのかつての同僚に対する気持ちは一生変わらないと思っていたけれど、分からないものだな…、今、ひょんなことろから、溶け出したのだ。過去の出来事は変わらない変えられないのだけれど、その意味?価値?何て言ったら良いのだろう、それは変わっていくんだな…。先の事は本当に分からないな、そう思った。

誰かに聴いてほしかったから、書いちゃったよん(^^;;

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