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本当に「いのち」を大切にするということ

「いのち」それは、かけがえのないもの、けして粗末にしてはいけない。だから懸命に生きなければならない。

と、よく聴きますし、人は言ったりします。

本当に?どうして?と、ずっと考えています。もちろん死んでもいいと思っているわけではありません。でも…、

どうしてよいか分からないような悲惨な状況下で「しんどくて死にたい、消えたい、何故生きなければいけないの?」と訊かれて、「いのちは大切でしすよ」なんてこと、全然説得力もないと思うのです。ともすれば、死を選んだ方が…思ってしまうこともある私なのです。

なんせ、私自身、消えたい毎日、なぜ生きて行かなきゃいけないのか?ずっと、自分の中で問い続けてきた課題なのですから。そんな私が、今、死にたいくらいしんどい人や、消えたい人の話を聴いていること自体、何なのでしょうとも言えます。

毎回なんて答えたらいいのか迷い戸惑い、「死なないで」とか「生きてほしい」とか、心の底からでる言葉ならきっと言えるだろうが、結局のところ、その自分の戸惑いを正直に話すことしか出来ないでいるのです。

そんな私に、今日「出会った言葉」がありました。

「本当に命を大切にするということは…、」

「『いのち』は抽象的なものではないと思うのです。抽象的な『いのち』なんて存在しない、『いのち』は身近で具体的、実在するものなんだじゃないかと。『いのち』は人が生きて来たプロセス、歩んできた道のり、描いた奇跡。亡くなった人にも必ずあるでしょう。だから亡くなった人の尊厳も大切にしてほしい、私はそう考えています。」

たとえば、とても辛い状況下で死を選んたとしても、そうせざる終えない「生」が存在していた、それがその人の『いのち』の尊厳、そういうことなのか…。

たとえ、死があったとしても、生きてきた奇跡が、誰かの心の中に残っているなら、そこで生き続ける事にもなるのかしら?

「死はエンドじゃない、生の続きなんだ」ってことかな…。

そういう思いで聴くんだな…聴くとしよう。

うん十年来の私の課題にうっすらと新たな光が射したような、そんな気がして少し興奮しています。(^^;


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