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好きの表現

好きなことをどう証明したらいいだろう、とたまに思う。好きを表現するということの難しさ。

表現するにはまずは見るなり聞くなりしなければならない。けれど最近はそこでつまずいている。

ライブの時間が早くなっていて間に合わなかったり、そもそも密になりやすいので避けるということもある。

ただ、私がもし一人ならば多分もっと行っていた。ライブを運営してくれている方々は最大限配慮してくれていると思うし。けれど、夫がいい顔をしない。危ないんじゃない?と遠回しに拒否してくる。

そんなことを言うなら実家の方へと墓参りに行ったのだってリスクだと思うし、私にとっては無駄な行為だと思うんだけど。…無駄は言い過ぎ。良くないね。でも私の中での優先順位ははるかに低い。

先日レポを書いたライブはどうにか説き伏せて行けたのだが、小さなライブになると夫はかなり渋る。

おかげで私はなかなか好きな芸人さんのライブに足を運ぶことができていない。昨日のライブだってかなり大事なライブだったのでかなり行きたかった。

ライブに足を運ぶ、ということ自体が好きを表現する方法の一つであると思うのだが、それすら出来ていない。そんな私にその人たちを好きという資格があるのだろうか、と頭を抱えてしまう。私が彼らを好きなのだということを証明できるものが何もない。そんなことを思う。

べつに他の人がライブ行ってようが行ってまいが私には関係がないのに、私は自分に対してそんなことを思う。他の人に「別に好きじゃないでしょ、それじゃ」と言われることを恐れている。きっと誰もそんなこと言わないだろうに。

マウントでもあるのかもしれない。こんだけ行ってるぜ、ドヤ!みたいな。意味のないマウント取り。私は自分が自己顕示欲の高い人間だとよく理解しているので、この可能性はかなりあるな、と思う。嫌なやつ〜

性根の悪さはなかなか変えられなさそうなので、行けないぶん配信をたくさん買おうと思うし、あげられているものに大してしっかりと魅力を伝えられるように言葉にできたらな、と思う。

絵が書けたらもっと好きを自由に表現出来るのになぁ、と無い物ねだりの私はジトジトした気分で考える。絵ってすごい。一眼で好きが相手に伝えられる魔法だ。もちろんその魔法も杖を振れば出来るものじゃなく、日々の積み重ねで生まれてくるものではあるのだけど。

私はどれだけチャレンジしても絵は無理だった。だから言葉でどうにかするしかない。この拙い槍一本で、どうにかこうにかやりくりしていくしか方法がないのだ。

私はまだまだ自分の言葉を不自由だと思っている。それをどうにかするには言葉を知るしかないと思っている。すぐに語彙を増やすことは難しいので、せめて言葉に誠実であろう。そうしたらいつか自由に好きなことを語ることができるだろうか。そうなれば、私はライブに足を運べない日々を恨むこともなくなるのだろうか。自分の隣にある好きをもっと大事にすることができるだろうか。

なにが言いたいのかこの文章で人に伝わっているのだろうか。書きながら、どう表せばいいのか何度も叩き消しながら頭を抱えて書いた、この文章が。そもそも人に伝えたいというよりかは自分の中で整理したいことを徒然と書いているだけなのだけど、その内容に理解を示してもらえたらもっと嬉しい。一人でいることが好きではあるが、人に通じる瞬間はやはり嬉しいものだ。

とにかく、人の表現にたくさん触れたいと思う。それを自分なりに言語化する練習をしよう。

ただ、どうしようもない日のカス日記は許されたい。カスとしか言いようのない日はどうしてもあるので。

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