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本を読んで、あれこれ

最近、本を読む習慣が復活してきている。

別に何かきっかけがあった訳でもないのだが、毎朝通勤の時間に本を読んでいる。

以前も長い通勤時間(1時間30分以上)を乗り切るために本を読んでいたのだが、いつの間にかその習慣はなくなっていた。その理由も明確には無い。強いて言うならば、スマホに依存しているから。しかし読書習慣が復活した今、スマホ依存が治ったかと言ったらそうではない。まだまだ依存状態だ。ツイッターを見る手が止まらない。無の時間を過ごし続けている……

まぁでもとにかく読書習慣が復活したことはなんだか嬉しい。ただ無の時間を過ごすだけの私ではない、ということが嬉しいのだ。

手に取った本も良かったのかもしれない。ぐいぐい引き込まれる、好みの本を手に取るとついつい先が気になって読みふける。文体がどうしても合わなかったり、理解がどうしても追い付かない内容だとめっきり読まなくなってしまうから。

本の中の人達はみんないろんな気持ちを抱えていて、とても濃い人生を送っている。その生きざまに魅了されてしまう。それが心地よかったりする。

あと、登場人物の人柄に自分の一部分でも理解できるものがあると、うんうん頷きながらも「これでも良いのかもしれない……」と思わせてもらったりもする。肯定されているというか、なんというか……もちろん、実在しない人物ではあるのだけど。

あと、本は徹底的に1対1であり、自分が読むだけで良いという点がとても安心する。私を責めることもないし、褒めることもないが、人の生きざまをただ見つめているだけでいい。……もう、私は浮遊霊にでもなった方が幸せなのかもしれないな。今が不幸せというわけではないけど。

部屋の私のスペースが限られているので最近はもっぱらkindleで読書しているのだが、本を買う時に試し読みをサッと出来ないのがどうにも困る。それ以上に困るのがレビューだ。すごく気になっているのにレビューの内容を見ていると買うのが不安になったり、自分の好きな本がレビューでこき下ろされているのもまた不安になる。立ち読みできない分レビューを見てしまうのだが、なんだかそういう情報だけが入って来ると素直に読書を楽しめない感じになってしまう。私の本との1対1の関係が崩れてしまうからだろうか。

そもそも私の読みたいと思う本ってなに?など考えていると、「私って一体どういう人間なんだ?」みたいな事まで考え始めてしまうからダメだ。ていうか私はなにを考えてもこういう思考に行きつく。私は私のことばかり考えている。どんだけ自分が好きなんだ。底の浅い私についていくら考えてもなにも出て来やしないのに。

人をもっと想える人間だったらよかったな、と思う。純然たる観察者としていることに安心感を覚える私には遠い目標なのかもしれないし、到達できない目標なのかもしれないけれど。

ただ、本を読んで涙すると、ちょっとだけ人を想える人間になれた気がする。現実世界で人を知ることに憶病な私は、本から人を知るぐらいが丁度いいのかもしれない。でも、本の中の美しい人たちばかりを見ていたら現実の人間に絶望しちゃうかもしれないな。この世の方がバッドエンドに溢れているし、終わりたくても終われないもので溢れているだろうから。

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