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ギリギリ駆け込み

昨日は「最果タヒ展」に行ってきた。

全てを読んでいる大ファンというわけではないのだけど、1、2冊読んでみて紡がれる言葉に惹かれるところがあった作家さんである。

展示会をしていることは前から知っていた。御本人がRTしている、様々な人が撮った展示会の美しい画像の数々に「行ってみたいなぁ」とうっすら考えながらも、行けないでいた。

昨日は履歴書など書かなければならず、始める前のアイドリングと称してTwitterをダラダラと見ていた。その時にたまたま、今日(昨日)が展示会の最終日であることを知ったのだ。

え、最終日……と思ったらソワソワしてしまい、無駄に部屋の中を歩き回ったりした。寒くてすぐ座ったが。

普段、こうやって最終日だったとかの情報を見ると「縁がなかったんだな」と思ってすぐに諦める方なのだが、その日は「絶対行こう!!」となぜか思った。はじめに書いたように、大ファンと言えるほどでもないのに。

もしかしたら履歴書書いたりするのを避けたい気持ちなどもあったのかもしれない。結果的にきちんとすべてを終わらせてから家を出たのだが。M-1の敗者復活とかもあったのでその日は家にいたかったのに、それを振り切ってまで。

とにかく突き動かされるようにして向かったのだが、結果的に「行ってよかった」と思えた。

私はどこか文章は絵に勝てないと思っている節があったのだが、そんなことは無い、と強く思えた。

もちろん展示方法などは工夫を凝らされていたけれど、その中核にはタヒさんの鋭い言葉たちがあるのだということを感じさせられた。文章もアートのひとつなのだ、と今さらながら思い知らされたのだった。

正直私は文章を読解する力には恵まれていない方なので、読みながら「わからない……」になってしまうことも多かったのだが、それでも自分の中にピンとくる言葉たちを夢中で追うのはたのしかった。

読みながら頭の中がグラグラとして目眩がするような感覚に目をぱちぱちさせながら必死で読み込むのは、モヤの中のガラスの破片を掴むような感覚だった。とても綺麗だけど痛みも伴うような言葉たちは、魅力的だった。

吊るされた無数の言葉のモビールを、星座を結ぶようにして読むのもたのしかった。映える展示はただ映えだけを提供しているのではないと思った。静かな熱意を確かに感じた。

タヒさんが詩を作る動きを映し出すスマートフォンの展示もとても好きだった。ひとつの言葉に丁寧に向き合いながら、迷いながら、最後までひた走る文字たちが美しかった。

私が一番好きだったのはあとがきの言葉だった。ああ、自分の思うことや言葉に誠実であろう、と心からそう思った。

そう思ったのに昨日はカス日記を書きました。はは。でも出来る限り誠実でありたい。

帰りには詩の書かれたグラスを買った。とても美しいグラスだ。私はこれでゼリーを作ることを密かな楽しみにしている。きっととても綺麗だ。

コーンフレークや生クリーム、ジャムで層を作ったサンデーにするのもいいけど、ゼリーが絶対いい。「透過」と「反射」には。

最後に、自分に特にぶっ刺さったモビールの画像を。

画像1

展示を見ている時の私だな、と思った。

画像2

これは日々の私へ。生き汚いなぁ。

明日からもめちゃくちゃ生きような!(?)

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