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働き者の手だった

木曜日の朝に母から「おばあちゃんの血圧が低下してきて、もうやばいかもしれない」と連絡があり、まだ支度中だった私は急いで職場の人に連絡して病院に向かった。
電話口の母の声は鼻がつまったような焦った声で、どんな表情を母がしているのかなんとなく伝わってきた。泣く寸前、ダムの決壊前、そんな声だった。

仕事に向かうのとは別の方面の電車に乗り、出来るだけ早く着くルートで向かう。その間はおばあちゃんの事を思い出したりしていたのだが、思い出す姿はどれも元気なころのおばあちゃんの姿で、いまのやせ細った状態でも、入院はしていないが抗がん剤治療をしている頃の痩せ始めた頃のおばあちゃんでもなかった。私が子どもの頃の丸っこい、おしゃべり好きなおばあちゃんのことばかり思い出していた。
私はたぶん、何度見ても体調を崩し始めたおばあちゃんの姿を受け容れることが出来ていなかったのだ。すぐに私に色々食べさせようとする、お節介で働き者のおばあちゃんの姿こそが私の中のおばあちゃんだった。

ふとおばあちゃんの事を考えては、逃げるようにラジオを聴いてみたり本を読んだりして長い時間を潰しながら電車に揺られ、父と弟の乗る車に合流してから病院に向かった。

家から病院まで二時間はかかるので間に合うのかどうかやきもきしたが、どうにか間に合った。コロナ禍のため私と母と弟しか面会出来ず、私と弟に限っては面会時間が限られていたが、どうにか会うことは出来た。

やはりベッドに横たわるのは記憶とかなり違う祖母の姿で、細くなってしまった腕や、細くなって病院着に包まれるような状態になっている。
母はちょっと前まで泣いていたのが分かる目の赤さで、やはり鼻声だった。しかしそれでも私たちに心配を掛けまいと明るい声を出していた。

私と弟がおばあちゃんの方に寄ると、おばあちゃんは首を動かしてからしっかりと目を見開き、私たちのことをじっと見つめていた。顔もほっそりしてしまったのに目だけはぎょろりとしていて、なんとなく焦点も合いにくい感じがチワワの老犬のようで正直少し怖いのだが、祖母が私たちを見ようと必死なのだということはかなり伝わってきた。目に焼き付けるようにしっかりと開かれ、ジッと目が合う。私は必死に笑顔を作って「会いに来たよ」などと言う。
さっきまでほとんど反応がなかったというおばあちゃんがそうして見ているだけでも母は喜んでいた。

なにを話せばいいのか分からないままおばあちゃんの手を取って握り、そっと撫でた。すべすべとしている。腕は細くなっていても、指や手はがっしりとしていた。働き者の手だった。私の指よりも太く、シミや皺が刻まれた手。手触りだけはすべすべふよふよという感じで、不思議だ。私は元気だった頃の祖母の姿を思い出すことは出来ても、手の感触を思い出すことが出来ない。私があまり人の身体に触れるのが好きじゃないということもあるだろうが、そんな事意識する前からきっと手を繋いでくれていたであろう手の感触をすっかり私は忘れてしまっている。
そういえば母と父の手の感触すら私は知らない、と思いながら、どうにかこの世に繋ぎとめたくて何度も手を擦った。

短い間に眠っては起きてを繰り返すおばあちゃんは、起きると周りの人の姿を目で探す。いるよ、と顔がよく見えるように身を乗り出し、手を振ってみると、たまにこちらに対して両手で手を振ってくれた。その両手を振っている時のおばあちゃんはなぜか私の記憶に残るおばあちゃんの顔にピタリと合致するから不思議だった。どこか茫洋とした表情をずっとしているのに、手を振り返す時はしっかりとおばあちゃんの顔なのだ。私はそれがとても嬉しいけれど、とても悲しかった。もういなくなってしまうのだ、と思って。

手を振る以外にもなにか伝えたいことがあるように手を動かしたり、口を大きく開いたりすることもあった。けれど、前のようにかすれ声でも声を発することはもうできなくなっていた。もう何も伝えられない。ただ手を振ったり、手を握ったり、という方法でしかおばあちゃんはなにも伝えられない。もどかしそうに喉に手をやって表情を歪めることすら出来ない。

「きっとありがとうって言ってるよ」と母は言った。私こそありがとう、と伝えたかったけど、「もうこれきりだね」と言うのと同じなような気がして私はありがとうと言えなかった。弟がどう思っていたかは分からないが、弟もそういう類のことは言わなかった。
面会できる時間が終わり、母だけが残って病室を去る時、「またね」と言った。毎回面会の時はそう言って病室を去ることにしていた。それを手綱にもっと生きて欲しかった。きっと苦しいだろうおばあちゃんへエゴを押し付けるような行為だけれど。

父と弟と、あとからこちらに向かっていた夫と祖母の家に帰り、これからのための準備をしようと動く間、意外と私の意識はしっかりしていて、思ったより悲嘆に暮れることはなかった。

そこから数時間して、母からおばあちゃんが亡くなった連絡を受け、また病院に向かう。遺体と対面し、また手に触れたかったけれど、洗体や簡単な化粧など施されてしっかりとベッドの中へとしまい込まれた手を触れることは出来なかった。
おじいちゃんが亡くなった直後、手が燃えるように熱かったことを覚えている。おばあちゃんの手はどうだったんだろう、と思った。
そういえばおじいちゃんも最後に会ったとき目を見開いてこちらを見ていた。おじいちゃんの熱い手はやはりおばあちゃんのようにがっしりとした働き者の手だった。そういうことを思い出した。

母からの話によると、職場の人にLINEで連絡を入れている間に「そういえば息をしていない?」と気付いたのだと言っていた。だからきっと大きく苦しんだりはしなかったんだろう。「きっと私たちが気を遣わないようにしてくれたんだね。おばあちゃんはそういう人だもんね」と母は言っていた。やっぱり目は潤んでいたが、泣いている姿はこちらに見せなかった。

それからはあれよあれよと葬儀に向けて動き出す。母は哀しむことも出来ないまま目の前のことをやるしかないというような状態で、それがいい事なのか悪い事なのか分からないが、もう少し母が悲しめるということも大事なんじゃないか、と思ったりした。親戚への連絡や、葬儀社の方との話し合いの中で、何度も祖母が亡くなった事実を口にしながらも、その気持ちの部分を母自身が咀嚼しきれていないような時間ばかりだった。
逆にこうして目の前のことをやっていく事で保てている部分もあるのかもしれない。四十九日が過ぎ、本当に日常へと戻ったとき、きっとようやく悲しめるけれど、それで糸が切れてしまうことだってあるんだろう。

結局、通夜と葬儀はもう少し先になり、いまおばあちゃんは冷蔵庫みたいなところで眠っている。私は日常に戻り、月曜日は通常通り仕事に行く。謎の空白時間に入った。
とにかく体調を崩さず、無事におばあちゃんを送り出せたらいいな、と思っている。

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