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鑑賞

家で動画を見続ける、ということが向いていない。
いろんなことに気を取られ、ブツブツ動画を止めてはスマホを弄り、本を読み、筋トレを始め……ということが多すぎる。

元から集中力の高い方ではないが、最近どんどん集中力が落ちてきている気がする。
こういう集中力の低下、スマホで情報の濁流を日々受け続けているから、って説ありますよね。漏れなく私もそうなんだと思います。受け続けるというか、積極的に受けに行っているのは自分自身なんだけど。

そんなわけで、ろくになにも最後まで到達しないまま、中途半端に放り出された動画があまりにも多すぎる。YouTubeの動画とかではなく、主にサブスクで観ているドラマや映画だ。作品、と言い換えた方がいいかもしれない。作品ではない動画は、作品よりも家で見ていられる確率が高い。一つが短いから、という理由ではなさそうだ。なんていうか、スナック菓子の気軽さ。

急に思い出したように作品を観始める時期が来たりするのだが、何故か最後まで見きれないことが多い。観ている間は確実に楽しいと思っているのに、続きを見るのが急に億劫に感じられたりする。妙だ。ドラマなんかだと特にそう。

推しの出るコンテンツも、全部追えていない状態だ。余程引きのあるものでないと録画も諦めて、TVerで気になったものだけ観る……という感じ。なんか、良くないかもなぁ、とは思っているんだけど、どうしても私にはキャパオーバー。なんでもかんでも「いい!」とは思えない…。

もう、両手と身体を椅子に縛り付けて観るしかない……!という気持ちにさせられる。別に、「観なきゃいけない」というわけではないのだが、観たいという気持ちを持っている私の一部が悲しむから。

そう考えた時、「映画館行けばいいじゃん!」となったのが今年の夏。
周りに人がいて、そもそもスマホを触るのが禁止されている状態でなら、必ず最後まで見ることが出来る!と。お金も払っていて、巻き戻しも出来ないし、これは集中しやすい!!映画館ってすげー!!と、今更気づいた。すべてにおいて気づくのが遅い。

じゃあひと月に1本は映画見ようかな、と思ったのだけど、6月観て、7月は観ていない。8月は観た、という感じ。あらら…?まぁいいんだ。映画館で映画を観るのはいい!!って分かったから…。

やっぱりスマホを出さない場所、っていうのは強い。それだけで集中度がグンと上がる。画面を一生懸命見よう!となる。

ただ、観ている間に頭の中で”感想ツイート”を書こうとしてしまうという気持ち悪い状態になったりもした。その頭に俯瞰で気付いた私は「気持ちわる!!!!」と頭の中がぐちゃぐちゃした。私の脳を侵食しすぎている、X(旧Twitter)……。(この表記めんどくさいね)
なんか、私が私としてこの作品を楽しめればそれで十分なのに、対外的な感想をまとめようとしているのが気持ち悪いな……となった。
人のこととか関係なく、作品と自分だけで楽しめないのか?と、嫌な気持ちになった。
だから、感想はあんまりツイッターに書かず、Filmarksに書いた。結局人が見えるところに書いてんのかい!!!!!!って感じだけど、知ってる人がいない場所でザクザク書いてるだけだからいいか、としている。機能がいろいろと便利だし。

今日も髪を切りに都会に出るついでに映画を見ようかな、と思ったのだけど、上映されているものと時間とがなんかうまく嚙み合わず、映画を観るのはやめた。その代わりに、前から行きたかった美術館の企画展に行ってきた。行きたかったから既にチケットは手元にあり、いつ行っても大丈夫な状態だったので、ちょうどよかった。

これです。
ざっくり、「印象派ってやつ、好きかも…」と思っていたし、「光」っていうのがまたなんか良かった。光って、いいよな。(原初的すぎる感想)

知識がミジンコほどもないので、音声案内の機械を借りて見ていった。

結果的には、音声案内無い方が良かったかも……だった。私の場合、刺激の種類が増えれば増えるほど翻弄されてしまい、結果どれも上手く入ってこない、という状態になってしまう。もっと脳の処理が上手な人ならすごくいい機械なんだと思う。私には合わなかった。

キャプションを読みながら絵を見て……という時間がとても良かった。ただただ没入するだけでいい空間は幸せだ。この時間はこれだけやってればいいんですよ〜っていう安心感。これは映画とも同じ。
キャプション熱心に読んだけど、結果的に知識として残ったものはほとんどなかった。これは完全に私の記憶力と、事前知識のなさのせいです。きっと教養があれば、もっとあの世界を楽しめたんだろう。悔しい〜〜〜

あと、美術館って撮影OKなところあるんだ!うれし!!ってなった。でも写真撮ろうと思うと目の前のものをよく見れなくなるので、最低限にしよう……と我慢した。あとで画像見りゃいいや〜、じゃないのよ。

絵を見ていて、「奥行きすご!!!!」ってなった。すごいよ、奥行き……。全然平面として見えないよ……。
あと、油絵ってあんなにムチッ!ザラっ!ってしてるんですね。おもしろ……。そういう意味でも全然平面じゃなかった。めちゃくちゃ厚いんだな、この絵……ってなれた。

主題の「光」もいろんな光があって、柔らかな光も、ぽつんと輝く光も、都市のパッキリとした光も、いろいろあった。私はぽつんと輝く月の神秘的な光に強く惹かれた。

トスカーナの海岸の灯台と月光/ジョゼフ・ライト・オブ・ダービー

1番好きだった絵。物言わぬ月が、周りの情景と合わせて意味を持っていく。本当にあった風景なのかどうか分からないけれど、それでもこの絵には意思がある。写真とはそういうところが違うのかな、と思った。いま。(いま?)

現代アートもたくさん展示されていた。私は難しいものばかりだけど、この作品たちも作者の意図があり、その意図を読むと「ハァ〜〜〜!!」となるのだった。記憶はできなかったけど。

光がないと物が見えない、という言葉に改めて「そっか……」となった。全部光の反射によるものなんだもんね。全然そんなの意味わかんないけど。私たちの高機能な目も光を頼りに見ているだけに過ぎないので、目の前にある物質が実はどんな姿をしているのか、本当には理解出来ていないんじゃないか?と思うと、世界の危うさみたいなものを感じる。私が見ているものってなんなんだ。なんて不確かなんだ。光が、私たちにいい夢を見せてくれているだけなのかも。

全然内容を理解できていないけれど、いろんなものを見れて良かった。なんかこうやってふんわり、いろんなものを鑑賞していきたいなぁ。知識の無さに二の足踏むよりは、いろんなものにとりあえず触れてみたいかも。

10月はモネの企画展があるので、それも観にいきたいな。映画もなんかいいのあるかな。楽しみがたくさん。


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