別れや変化は必然?!

絶世の美女だった女性が、16年経って、千と千尋の神隠しの最初に出てくる豚さんのようになっていて、衝撃を受けました。

容姿のことなど話してごめんなさい。以前、私も鬱病の時、毎日散歩に出ていて、その時は誰も話しかけてくる人がいなかったのですが、治って、久しぶりにお化粧をして、身なりを整えて、外を歩いた時、知らない人がたくさん良かったね~と声をかけて下さったことがあったんです(苦笑)うつ病の時は身なりを気にする余裕もないのです。散歩に行っていたのも家族の勧めがあったので、自分の意思ではありません。ほとんど食べたものも覚えていないのに、ものすごく太っていたし、今考えれば鬱病のせいで代謝が悪かったのだと思います。

衝撃と心配・・・容姿の変化が他人に与える影響を強烈に感じたので記事にしてしまいました。鬱病で太っていた私は、ストレスだな・・と感じました(汗)

複雑に絡み合う理由・・簡単に説明できるものではないのです。誰にもどうすることも出来ない。16年前の美しさを取り戻すことが出来るのは本人のみでしょう。本人以外の人も絡み合いその現状を作っているから事態はもっと複雑です。

一緒に仕事をしたいねと話していました。でも・・家族の応援がないとだめですね。。。。私は夢を叶えるのって家族の応援が必要だと思っています。やっぱり家族って運命共同体だから・・。応援があるのとないのとでは、向かい風か追い風くらい状況が違います。人は変化に憧れ、変化を恐れます。私はうまくいったって私自身が変わることはないと思うのですが、家族がそう思えなければ、表面では応援していると言っても、心では反対しています。それは強力な向かい風になってしまいます。風は目には見えませんが、ものすごい風圧で前に進むのに余計な力が入ってしまい、思うように進まなくなります。家族は一緒に居る時間が長いので影響は大きいです。その影響を払しょくするのは外の人間は不可能に近いでしょう。私は最近しみじみとそれに気づきました。

彼女は美しさは失くなっても幸せそうでした。人の幸せは見た目ではわからない。私が鬱病の時も不幸と感じていたかと言えばそうではありません。どちらかというと幸せな方だと思います。乳がんを知った時、小学低学年の息子をお母さんがいない子にはしたくないという強い気持ちが私を支えていたからです。とりあえず、その時は生きていることが目標でした。自分のことはどうでもよかったです。お母さんという存在でありさえすれば。

ただ・・彼女と会って、別れや変化は必然?!だと感じました。人の幸せはやっぱりその人にしかわからない。彼女は自分の美しさを犠牲にしても家族との絆を大事にしていました。私には入り込む隙がないほど、完璧に完成されていました。幸せは一人で作るものでもないかもしれません。心が通じ合える人と作る。外側は関係ないのだと思いました。それはいつか終わる。別れがあり、変化がある。同じものはないのです。

彼女に再会するまで、私は一緒に仕事が出来なかったことを自分の都合で残念だなと思っていました。でもそれは必然だったのだと感じました。よかったのです。人は望むように生きているものだと。望んでいるように私も彼女も生きている。自分と周りの大切な人の想いが複雑に絡み合い、現実を映し出していると感じた出来事でした。


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