恩送り

乳がんの闘病中、とりわけ私が辛かったのは抗がん剤治療です。

お風呂に入って、髪が抜けていく光景も今意識をそこに向けるだけでそれこそリアルに思い出すことができます。恐怖の感情とともに・・。

私は自分が納得して、抗がん剤治療を受けたわけではなかったので、ただただひたすら辛かったです。小学生低学年の息子が学校から帰ってくるのを見て、とにかく生きていなくてはいけないから、何が何でもこれをやるしかないと苦しい気持ちに蓋をして、頑張っていました。これを書いているだけであの苦しみがよみがえるようです。

家の天井を眺めながら、苦しさにのたうち回り、(当時)12人に1人が乳がんというけれど、どうして私は同じ立場の人と出会えないのだろう?と感じていました。

そんな苦しい時に実家の近くに住む親友が、職場の同僚で乳がん経験者の方を紹介してくれ、話す機会を作ってくれました。その方はマギーさんと言いました。マギーさんも会ったこともない遠くに住む私と話すことを快く承諾してくださり、電話番号を教えてくれ、何度かお電話で話すことが出来ました。

癌経験者ではなければ、わからない思い。会ったこともないマギーさんは、細かい内容は忘れてしまいましたが、明るく、ああ私はそれは抜けたからとおっしゃり、私を励ましてくれました。その時の私は、自分自身にそんな癌を受け入れ、明るく話せる時がくるなんて、想像もできませんでした。ほんとにそんな時が来るんだろうか?そう思ったことははっきりと覚えています。

当時、絶望していた私に、同じ乳がん経験者と話すということは、大きな希望となり、励みになりました。

その経験からいつか癌患者の方と話せる場所を作って、あとに続く誰かの役に立ちたいと思っていたら、私の住む市内に幸ハウスが出来、私の願いを代わりに叶えてくれた人がいました(笑)

そして、9年前の私と同じような立場の方とお話しする機会を得ることが出来ました。ちょうどその前の晩、久しぶりにマギーさんを紹介してくれた親友と電話で話した次の日でした。

私は初めて自分の乳がんの経験が誰かの励ましや希望になることを感じ、私の方がありがたい感謝の気持ちでいっぱいになりました。あんなつらい経験もほんの少しでも誰かの役に立ったのなら、死にたいくらい辛かった乳がんの経験も意味のあることかもしれないなと感じました。

普段は傷口が痛かったり、リンパ浮腫の腕が重かったりして、気持ちが沈みがちなところを無理やり上げているところもあるのですが、生きているというのはそれだけで有難いし、素晴らしいことだと感じられるのは、やはり病を得ていきているからでしょうか?

私はマギーさんを紹介してくれた親友には、恩返しらしいことは何もできていないけど、私の経験が誰かの役に立ったのなら、これを恩送りっていうのかなあ、それもいいかなと考えた瞬間でした。

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