幸ハウスとの出会い

これは一度はすっかり諦めて2の続きになるかと思います。

2018年8月、私は2度目の旅行業、芙蓉峰サービスを開業しました。といっても・・・また無理をして癌になると嫌だなと思っていたし、体調も安定せずにいたので、ゆっくりゆっくり体に無理のない範囲でやっていくつもりでいました。地域限定旅行業でも受託販売という方法なら自分の取り扱える旅行地域以外もできるので、他社の旅行会社と受託販売契約を結んで、他社のパッケージツアーを販売していました。近所の地元のドラックストアーさんにパンフレットを置かせてもらえるようになったので、商工会にも加盟しました。

ほんとうにゆっくりゆっくり、癌のほうもホルモン療法の治療は続いていて、病院に通っていましたし、鬱病も治ったとはいえ、再発するといけないということで、2か月に一回は病院に通っていました。

少しずつ、少しずつ体と心は回復傾向にありました。そんな時、授業参観から帰って友達に家に寄ってテレビを見ていたら、その友達の娘さんが韓国の俳優さんに歓声の声をあげていたんです。キャーって(笑)ほんとうに好きで、夢中になっているのが一目でわかりました。

中学生ですから・・・そうですよね。。。。芸能人に夢中になるお年頃です。私は素直にいいな、素敵だなって思いました。若いっていいな。私には・・そんなキャーっとなれる人もこともないな、でもそういうのがあったらいいなって素朴に思ったのです。忘れもしない11月9日です。私、日にちはよく覚えているんです。その1週間後、癌の再発してないかの検診がありました。11月14日です。そこに幸ハウスの案内の張り紙がしてあり、パンフレットが置いてありました。

幸ハウスは、簡単にいうと、癌の患者さんが集える場所です。詳しくは幸ハウスのホームページをご覧いただきたいです。私がどう説明したらいいのか・・難しいからです。とにかく私の家の近くに、癌の患者さんが集える場所ができたことに私は感激しました。あの驚きは忘れられません。私は生涯・・はおおげさですが、10年は応援しようとその時、心に決めました。

私の闘病中、闘病の話を出来る人は一人もいなかったです。年間9万人ほど乳がんの人がいるはずなのに、どうして私には一人も病気のことを話せる人がいないんだろうと抗がん剤の吐き気を抑えながら、家のリビングにうずくまっていました。そりゃ仲の良い友達や心配してくれる人はいましたよ。でも・・やっぱり癌は経験していないとわからない部分もたくさんあるんです。患者会にも行きましたが、私は輪の中に入ることができませんでした。鬱病でもあったので、すべてのことが怖く感じてしまうのでした。話す人がいないって辛いです。もし元気になれたなら、私は家の近所で、癌の人が話せる場所を作りたい!とずっと思うようになっていました。そう思っていたら、家の近くに、願った場所が出来ていたのです!感激しますよね?

私にとって、心から応援したくなるものや場所は芸能人じゃない。私の代わりに(おおげさですがほぼそう思っています)癌の患者さんが集えるところを作ってくれた幸ハウスなんだなあってしみじみ思いました。私、身近なものが好きなので、芸能人とか、テレビという箱に入った別世界の人って思ってしまうので、あまり好きじゃないんです。音楽を聴いたりはしますが、熱烈なファンになるってこともなかったです。でもみんながキャーって叫ぶのと同じ気持ちなんじゃないかと思うくらい、幸ハウスの存在を知った時から利用させてもらい、また応援しています。


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