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私文前期入試全落ちの僕から、私文前期入試全落ちのキミへ


3月2日。

3年前の僕が、変わった日。


3年前、僕は受験生だった。卒業式を間近に控えた僕らは、来たる登校日を指折り数え、それぞれの進路に向かい期待に胸を弾ませていた。

けれど僕だけは違った。



僕だけ、進路が決まっていなかった。
塾に通い、複数の私立大学を受験できる環境にもありながら、前期試験に全て落ちてしまったのだ。

第一志望は勿論、滑り止めも。


「あぁ、辛いなぁ」

毎晩枕を濡らしては、腫れた目で次の試験に向かう。昼休憩では毎度の手ごたえの無さから目を逸らすように、冷えた弁当を貪る。


そんな僕の命運を分けた後期入試、
それが忘れもしない3月2日のことだった。

僕は滑り止めも全て落ちてしまったため、
後期入試という方法によって、奇しくも第一志望の大学に再チャレンジする機会を与えられたのだ。


「浪人したらここの予備校に行こう」
「自習室もいい感じじゃん」


そんな言葉で現実から逃げ続ける日々。

なんて、もうお別れだ。


後期入試は受ける二大学とも国語総合のみ。
この1ヶ月、僕は国語の勉強を基礎からやり直した。

元々現代文なんかは得意なつもりだったが、こうして真正面からやってみると、なかなか面白い。

古文や漢文も、切羽詰まった状況で打ち込むと、なぜか大学に入ってからもっと研究したいと思えるようになった。



そして試験当日、
過去問通り難しい問題が並んでいる。

僕の苦手な源氏物かと思いきや、蜻蛉日記!(これがきっかけで大学二年次は蜻蛉日記を学ぶこととなる)

難しいことに変わりはなかったが、不思議とすらすら解けた。

現代文では確か幸田露伴と幸田文についての文章が出たような。3年経ってもこういうのって意外と覚えているものです。


合格発表はわりとすぐだった。


結果は合格。



当日の倍率は6倍以上で、確か80人前後の枠に500人以上が出願していた。僕の大学は偏差値60あるかないかくらいの中堅私大だが、文学部は看板学部ということもあり、この時期には早慶やMARCH落ちがわんさか集まるということだった。だから、9割以上取れてようやく合格といったところだと思う。

数日後に受けた別のマイナー私大の後期入試(同様に国語のみ)も、同様に手応えを感じられて合格。




なんだ、こんなことだったのか。
もっと早く死ぬ気で勉強しておけばよかった。


そんな僕の入試成績は

前期試験 7戦7敗 (うち補欠繰上1)
後期試験 2戦2勝

と、
高二~高三1月の頑張りよりも、
高三2月~3月1ヶ月間の頑張りが功を奏した形になった。

今だから言えるが、僕は国語以外の科目、つまり苦手から逃げ続けていたのだった。とりあえず1日○時間の勉強。そんなやり方。

中身が伴っていないし、意味をなさないからそんなのは駄目だ。
何時間やったところで、苦手から逃げていては無駄だ。


僕は結果的に、

・滑り止めも含めて全部落ちた
・後期試験は得意科目だけで勝負できた


という環境だったから第一志望に返り咲くことができたが、こんなの非効率的だ。

要領のいい人にはなれないな、と今でも思っている。


じゃあどうするか?


それは簡単。

行動し続けることと、
苦手から逃げないこと。

とにかく歩みを止めないことが大事。
何事も、落ち込んでいても仕方が無いのだから。
それと、僕だって苦手な科目を受け入れられていれば、もっと早く進路を決められていたことだろう。


・行動し続けること
・苦手から逃げないこと



この2つが伴えば、
僕みたいに要領の悪い人でも、人並にはやっていけます。


でもやっぱり、
人間泥水をすするような極限を味わってこそ本当の力が発揮されるのかもしれないよねぇ。

結果論だからわかんないけど、
限界を超えたら見える世界もある。

だから、今やばいやばいって悩んでいる人も大丈夫だよ。



最後まで読んでくれてありがとう。


心配すんな。
全部上手くいく。

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