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『墓場まで何マイル?』寺山修司著

まるで怪人二十面相のように幾つもの顔をもつ
寺山修司。
あるときは少年
あるときは少女
あるときは探偵
そしてひとりの表現者として
言葉を自在に描いた人。


私が好きな寺山修司は
詩人
童話(メルヘン)作家
評論家
この3つの顔である。

晩年に収められた「遊びこそ我が人生」と珠玉のエッセイ集「墓場まで何マイル?―
ジャズが聴こえる」。
この本はこれまで残してきた彼の作品とは明らかに違う顔を発見する。
読み返す度に余計なモノが削ぎ落とされたひとりの人間・寺山修司が見えてくる。
それはきっと迫り来る死と対峙した者だけが実感した重さ。あるいは覚悟ではないだろうか。
全編ハードボイルドなタッチで大人の苦味と渋みが心にじわじわ効いてくる。
他にも、未刊行エッセイや間奏曲・超時間対談(対談者:アルチュール・ランボー)、角川春樹と俳句、吉本隆明と短歌について死生観を巡る哲学的な対談も収録されている。


寺山修司はモノローグな詩の世界から出発して
ダイアローグな演劇の世界へ扉を開き
そしてふたたび詩人として
そのときを閉じた。

私は表現者として著者が目指した言葉の可能性、
つまり最後は作者と読者のダイヤローグで
ようやく本は完結するのだという哲学に賛同したい。


如何なる時も
あなたの想像力によって
人は自由という心の翼を羽ばたかせることが出来るのだ 

私は沢山の書物からこの言葉を受け取っている

最後に、朝日新聞に掲載された
遺稿『懐かしのわが家』をここに載せます。

昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって
完全な死体となるのである
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町字橋本の
小さな陽あたりのいゝ家の庭で
外に向かって育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを

子供の頃、ぼくは
汽車の口真似がうまかった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ

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