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「赤い風船」

深い深い森の中で
太陽と仲良しの赤い実を
毎日食べている
おかっぱの少女が住んでいた
少女を取り囲む大人たちは
外の世界に忙しく
少女が目に入らなかった

耳に聴こえてくるのは
キャンキャン吠えているような
メソメソ泣いているような
音ばかりで
そんな大人たちの苦い悲しみが
少女の感受性に
影響を与えていた

まだ言の葉を知らない世界
感情は行き場のない出口を
探していて
少女は口をパクパク動かしていた
そうして
晴れた空にふんわり浮かぶ
赤い風船が大好きだった

近くの空き地を歩く時も
スケッチブックに落書きする時も
どんな時も一緒だった
膨らんだ風船の中に
少女が話したい言の葉が
いっぱい詰まっていて
それを持っていると
いつしか空を飛べるような
心地がした

ある日
ピカッと光る稲妻を見た
父と母が
言い争いをはじめた
乱暴な言葉が飛び交い
棘を持った言の葉で
お互いをつつきあった

あまりの口論に
少女が大切にしていた赤い風船が
物凄いスピードで膨れ上がり
やがて破裂した

棘を持った言の葉が
部屋中を覆った

少女は咄嗟に
ぐしゃぐしゃになった
風船を懸命に飲み込んで
赤い風船なんか
最初からなかったのだと
自分に言い聞かせた
部屋中の怒りや悲しみも
一緒に飲み込んで
行き場のない遠吠えを封じ込めた

大人になった彼女が
封じ込めた少女の存在に
気がついたのはつい最近の事

あの頃
スケッチブックに描いた
原子から連なる
沢山の分子の落書きと涙の雫
その理由(わけ)を
ひとつひとつ掬い上げよう

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